以下は、参議委員運輸委員会のうち、荒舩運輸大臣と石田禮介総裁のやり取りの部分を抜粋したものです。 資料性と言うことで、特段の解説は加えておりませんので、コメント等は最低限としておりますので、よろしくお願いいたします。 現在の深谷駅 画像 wikipedia 関連ブログ 偉人伝 石田礼助総裁物語 第13話 武士の情け、急行停車と荒舩清十郎 併せて是非ご覧ください。 ○瀬谷英行君 まず大臣にお伺いしたいと思いますが、十月のダイヤ改正で深谷に急行が停車することになりました。この問題がたいへんにいま話題となっております。しかしこの十月のダイヤ改正は、十月の時刻表を見ますと、すでに深谷に急行がとまるようになっております。これが巷間伝えられるように運輸大臣の特別の指示によるものなのかどうか。急行の停車駅は従来どのようにしてきめられていたのか。もし、すでに腹案ができておったにもかかわらず、大臣の特別の指示によって深谷に急行をとめたということであれば、それは国鉄として一体どのような観点でとめるようなことになったのか、運輸大臣並びに国鉄総裁それぞれからお答えをいただきたいと思います。 ○国務大臣(荒舩清十郎君) この問題は、もちろん国鉄自身がきめる問題でございます。端的に具体的に申せば、深谷市の駅勢人口というような観点からいたしまして、これは当然急行も何木かとまるべきだというふうに考えております。私はもっとこう具体的な話で埼玉県でございますから申し上げてみたいと思いますが、昭和三十一年三月から高崎、本庄、深谷、熊谷、大宮から上野を終点とする上りがございまして、午後に一本の上りでございます。それから昭和三十三年の四月から、上野を出発いたしまして大宮、熊谷、深谷、本庄、高崎というふうにとまっておった快速列車と称するものがございます。なお、昭和三十三年の四月から実は始発といたしまして、深谷市から七時十五分というのが出ておったようでございます。――先ほどの年月日違いました。上りが昭和三十一年三月からのようでございます。 そういうようなことでございまして、前にも快速列車がとまっておりまして、なお始発も出ておりました。私専門家でございませんからよくわかりませんが、この列車が急行もとまりあるいは始発もあったことは事実でございます。で、それが昭和三十六年の二月ごろから、これが出なくなりました。