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昭和23年  交通の記事から抜粋 

昭和23年6月号の記事ですが、当時の組合の実態が良く判る、そんな内容の記事となっています。 共産党などの影響をさけて、民主的な労働組合運動を目指す民同派と共産党の影響を植えきれる容共派が組合内でも分裂していく様とその危惧が書かれているわけですが。 実際に、国労の場合は比較的早い時期に、動労(当時は機関車労組)が分裂し、更には国労内にあって、容共派を中心とする、山猫スト【無届けスト】などが実施されるなど、スト権剥奪後の民主的な組合運動を模索する中で、国鉄のそうした分裂と統制が難しかった様子が伺えます。 結果的に、こうした最初のスタート時点が違った形で収束できていれば、また違った形で現在のJRはあったといえるかもしれません。 いずれにしても、こうした研究には答えがありませんが、私なりに纏めていきたいと思うのです。       組合自主の確立のために 一全官公争議と国鉄労組 那須井 忠  一 世の中が、理論通り動いたら大変楽しいに相違ない。 そうしたら、大学の教授は、皆一流の政治家となるであろう。 しかし、理論と現質は多くの場合、一致しないのが通常である。  そこで、政治と政治家の存在が必要となつてくるわけだ。  臨時給与委員会で、決定した新給与二,九二〇円水準に対して、国鉄労組は「不満ながら」これをのんだ。 しかし、全逓その他全官公労組は、あくまで不満なりとして、それをけり、遂に全官公争議までに発展した。 全官公労二百七十万のうち、国鉄・全逓両労組はその中核となつているが、国鉄労組が全官公争議に、傍観的態度をとつたことに対し、一部ではこれを支持し、他の一部では「御用組合」と見なして非難した。 国鉄労組のかかる行き方に対し、私は現実政治家的な印象を受けた。  全逓その他全官公の主張する二,四〇〇カロリーに基準を置く理論生計費は、理想論としては正しいに相連ない。 けれども、敗戦によつて破産状態にあるわが国情を直視するとき、理論生計費は現実から浮いた「理論」であることを知る。  新給与間題に闘し、加藤国鉄労組委員長は、朝日新聞主催の座談会で次の如く述べている。 「新給与水準決定の際の私の立場は、官公吏が一般国民と同じ生活水準が出来るという点にあつた。  そこで何を基準にするかと考えた。  中労委などでも具体的な民間の沿与を基準にしてはとい...
最近の投稿
 戦後の労働運動家で、社会党所属しており、社会党の分裂の際は左派社会党に所属した方です。労働運動が政党と同調する事への警鐘などを鳴らしており、終戦直後の資料を学ぶ上で非常に貴重な記事ではないかと思います。   二・一以後の労働組合運動 島上善五郎 二・一ゼネスト闘争はわが国労働組合運動に深刻な自己反省を求めている。これが正しくなされることによつて今後の労働組合の健全正常な発展に資せられるならばあの失敗も又貴重な経験といつてよい。 あの闘争に鑑みて今後考えなければならぬことの一つの労働組合の闘争と政党の闘争との関係の問題がある。  今日の段階では労働階級の生活問題は多くの場合、政治との関連が深い。『政治は経済の集中的表現である』との言葉は今極めてはつきりとわれわれの日常生活の上に生き生きとした事実となつて現はれている。 従つて労働者の生活権確保の諸闘争は政治闘争に発展する必然性を持つている。けれども労働組合はあくまで労働組合であつて、政党でも政党に代行する組織でもないことを知らなければならぬ。労働者の経済要求を機械的に政治闘争に発展せしめたり、大衆の闘争力が高まつたからとて労働組合が直接政治闘争の母体、指導体となることは組合の本分を忘れた行過ぎである。  二・一ゼネストは官公労働者の生活の極度の不安に端を発し、政府の無誠意と無能の故に次第に最悪の事態にまで発展したのであつたが、その本質はあくまで官公労働者の生活の改善向上の経済闘争であつた。この経済闘争をあのような政治闘争に発展せしめゼネストに導いた第一の責任はもとより政府に帰せらるべきものであるが、ゼネスト決行期日が近づくにつれて組合内に現はれた傾向の中には明らかに労働組合の運動の限界を超えたものがあつた。 『経済要求が全部容認されても吉田内閣が倒れないうちは断固としてぜネストを行う』との言葉が責任ある指導者の口から当然の事のように言はれたことは、それが大衆に対する一場のアヂ演説であるならば現も角極めて大事な交渉斡旋の段階で声明されたことは今後の組合運動のために批判揚棄されねばならぬ。労働組合はあの場合掲げた経済要求をより多く獲得することに重点がおかるべきであり、しかもそれは大衆の闘争力の最も高まつた時期にその力を背景に交渉を進めることが最も有利であつたことは言うまでもない。労働...

2・1ストを総括する、文章に対する私的な考察

今回も、当時の労働運動家が書いた記事かと思われますが、イニシャルで書かれているだけのため、個人を特定することが出来ませんでした。昭和22年に計画されたものの中止に追いやられた、2・1ゼネストに関しての記述がなされています。  参照した本は、昭和22年3月4月合併号の交通からの抜粋です。    以下にAIとともに概要を要約をさせていただきましたので、ご覧ください。 経済闘争から政治闘争への必然的転化     当初の目標は「最低賃金(660円)の獲得」という純粋な経済闘争であった。    しかし、崩壊状態の日本経済において賃上げを実現するには、国家の財政政策そのものを変更させる必要があり、必然的に「吉田内閣打倒」という政治(スト)闘争へと発展せざるを得なかった。 一般官公労働者の「政治意識の遅れ」という弱点  多くの一般官公労働者(非現業など)は、この闘争が「政治的闘争」であることを十分に理解していなかった。     「民主人民政権の樹立」という高い政治意識が欠如していたため、ゼネスト中止の声明(GHQの介入)によって組織が容易に動揺し、不必要に大きな打撃を受けてしまった。 「弱いが故のゼネスト」と国鉄労組への依存構造     今回のゼネストの本質は、労働者側の力が強かったからではなく、官業労働者(特に非現業)が弱体であったからこそ、全体で束にならざるを得なかったという点にある。     多くの弱小組合は、強固な組織力と高い政治意識を持つ「国鉄労組」におんぶ(依存)することで初めてストライキが可能となっていた。逆に言えば、この弱小組合の存在が強固な国鉄労組の足を引っ張る(牽制する)結果にもなった。 今後の展望:階級的意識の再武装     打撃を受けた官公労組は、至急体制を立て直す必要がある。     伊井議長の「労働者農民万歳」という言葉を胸に、正しい労働者階級としての政治意識を確立し、何物にも恐れない闘争力を持つべきである。 このように、2・1ストは結果的には現業の国鉄などの比較的強い組合が中心になって実施しようとしたが、本質的に非現業公務員は、政治ストであることに気づかない、若しくは気づいて...

制服の労働者 国鉄部内誌「交通 昭和21年11月号の記事から抜粋」

 以下は、戦前から戦後にかけてのプロレタリア作家の一人である、徳永直による文章で、国鉄部内誌「交通」のトップに掲載されたものを全文文字起こししたもので、旧字体を新字体を改めたほかは、殆ど当時の記述のままとしています。これは、当時の世相なのかそれとも幹部クラス自身が民主化のあり方を模索する中での決定なのかは判りませんが、極めて異例だと感じています。 改めて鉄道史とりわけ労働運動史研究の際の一次資料の一つとしてご覧いただければ幸いです。   こんどの国鉄ゼネスト(未然に妥協となつたが)については、国鉄従業員自身にとつても、また一般市民にとつても、いろいろと考へるべきことが多かつた。いま私はそのうちの二つについて、一つは「公共事業」、といふことの本質は何か? 二つは過日朝日新聞にあらはれた「制服の労働者」といふ観念について述べたい。  国鉄ゼネについて、一般市民にあらはれた傾向の主なるものは「国鉄は公共事業である。だからゼネストは反對、或は慎重でなくてはならぬ」と云つて、しかも主として従業員側にむけられたこと、そして一般市民は己れを第三者もしくばゼネによる被害者として認識していたことであった。これは日本人一般の「公共性」への誤つた理解であり正しくない。「公共事業」とは何か? 日本人民ぜんたいに共通する利益のための事業である。そしてこれの運営を執行する政府も、五十万従業員も、「日本人民ぜんたいの一部」であって、けつして別のものではない。運輸大臣ゃ五十万従業員によつて勝手に日本人民ぜんたいの共通利益を侵害したり、左右してはならない。したがつてまた日本人民は共通利益をまもるためには、ある程度の責任をおはねばならぬし、まつたくの「第三者」であることは出来ない。  たとへば日本人民ぜんたいは、共通の利益をまもるために、五十万従業員の犠牲を強要することは、五十万従業員が「人民ぜんたいの一部」である以上出来ないし、同様に従業員なり政府なりが、一部の私利や、無能や、失策によつて、共通利益がそこなはれることもみのがしておくことは出来ないのである。だから若しいはれもなく国鉄従業員がゼネをやるなら、一般市民はそのゼネをふみつぶす方へ回ってよいし、また政府当局のやり方が不当であるなら、汽車が止つて「被害を蒙る」どころか、ゼネストを支持し、当局を弾劾すべきである。  し...

昭和21年当時の国鉄を取り巻く労働運動に関する考え方 当時の投稿記事から

以下は、日本国有鉄道(当時は運輸省鉄道総局)職員向けに発行された「交通」昭和22年1月号から抜粋した記事であり、終戦直後の国鉄の労働運動を検証するための一次資料となり得るものです。 この記事の概要は、当時の二つの大きな組織 総同盟と産別双方の活動を阪田登(ネット上では著書等は見つけられず)問いウサインの元に書かれた記録です。 本来、「交通」はその後「国有鉄道」と引き継がれるように、どちらかと言えば、管理者クラス向けの雑誌であり、鉄道員全体向けの国鉄線とは一線を引く記事故に、個人的には当時の当局・幹部クラスが労働組合のあり方などについて模索するというか学習するためではないかとおもわれるのです。この後はこうした記事が減っていくので、その点は間違いないかと思います。 基本的には、旧字体を新字体に改め、明らかな誤字は修正したが、それ以外はそのままですので、「おもふ」と言ったような、現在の言い回しとは異なる記述も数多く見られるが、その辺は当時の原文を大事にしたいという思いからです。 鉄道史、とりわけ労働運動史研究のための参考としていただければ幸いです。      総同盟と産別 労組常識 Ⅰ 終戦以来、約一年半ばかりの間に日本の労働運動は急速に成長した。現在では労働組合の数は一万数千、組合員は四百万を越している。そして、ただ単に数がふえただけでなく労働者の意識水準も相当高いものになつている、もともと労働者は資本家階級と戦ふ時には完全にその利害は一致する。だから労働組合は全国的に統一されなければならないし、また統一できるものである。しかし現在では日本の労働組合は同じ方向に同じ歩調で進んでいるわけではない。つまり、労働戦線が統一されていないのである。だから労働者全部が百の力を持つていても、その百の力を一点に集めて決戦に立上ることが出来ない。日本の労働戦線は産別会議、労働総同盟、日本労組会議の三つの陣営に大きく分けられている。 その中で日本労働組合会議は大体産別会議と総同盟の中間の性質を持つているらしいが、新しく出来たばかりでまだ実際には何もしていないからここでは問題にしないとして、思想も組織も行動もととごとく対立している二大陣営=産別会議(組合員約百六十万)と労働総同盟(組合員約百五十万)=を比較してみる。 Ⅱ ◇思想 …… 産別会議と総同盟の相違の中で...

昭和21年10月記事から  国鉄問題をかく見る 全文

  以下は、 国鉄誕生前の人員整理と組合運動 前編  の関連記事として、国鉄部内誌【当時は運輸省】の「交通」という雑誌の、昭和21年10月号の記事を転載したものです。 当時の国鉄を取り巻く環境等が語られていますが、組合視点ではないと言う点で非常に重要ではないでしょうか。 当時の国鉄は、ハイパーインフレに伴う運賃改訂を行うも、財政法の絡みで、十分な値上げを実施できず、更には、復員に伴う失業者対策としての受入といった問題もあり、当時の国鉄の運営では50万人程度であったと言われる定員に対して、60万と過剰となっており、その為に、人員整理を行うという理由で、戦時中に採用した女性職員の退職勧奨が行われるものの、前述のとおり、失業者対策で男性職員の受入を行うなどで、有能な女性社員が退職、若しくは下位職(雑用)に甘んじる事となりました。さらには、経費削減の目的で行おうとした人員整理は、組合の反発も大きく、最終的には当局側の譲歩という形で決着が図られることとなり、その結果がその後のゼネラルトライキ、スト権剥奪などに繋がるのであり、その経緯を記録した非常に資料制の高い記事です。 後段では、当時の世論などの記事を抜粋した部分があり、資料性が高いと判断しましたので、併せて末尾に記載させていただきました。 当時の鉄道史の基礎資料としてご覧いただければ幸いです。     昭和21年当時のヤミ市の混乱する町のイメージ(AIによる作画) 当時の資料性を確保するため、旧字体は新字体に改めたほかは、言い回しなどは当時のままである点をご了承願いたい。  国鉄問題をかく見る 井上縫三郎   四面楚歌の国鉄 国鉄の人員整理問題は、国鉄総連合側のゼネスト予告、交渉一時打切りで、嵐となるか、それとも曇後晴で、台風一過に終るか、いま重大な危機に臨んでいる。恐らく、この小論が讀者諸君のお目にとどまるころには、どちらかの局面に達しているだらう。従つて時候おくれのものとなる懸念が多いが、さういふことを顧慮せす、国鉄問題に關する忌憚のない、わたしの意見をのべて、大方の御叱正を請ひたいと思ふ。 率直にいつて国鉄は、国民から愛される国鉄になつていない。サービスは悪くなつた。それと反比例するかのやうに、運賃はあがるばかりである。省電など通勤者で雜咨する朝夕について、ラ...

昭和25年の交通技術から抜粋 湘南電車 新製される湘南電車

 以下は、交通技術の記事の中から、80系電車設計当時の技術者の記事を書き出したものです。 イラスト、その他はAIによるリライトを行っていることをお断りしておきます。 歴史的資料としてご理解ください。   新製される湘南電車 林 正造 1. はしがき 東京附近の交通難を緩和し旅客輸送のサービスを改善する目的をもつて、東京・沼津間の旅客列車を電車化して、いわゆる湘南電車を運するという計画はさきに本誌にも発表されているが、目下新形式の電市の設計が工作局においと進められ、近く新製がはじめられる段階に至っている。しかし本年度は経済9原則の適用、国鉄経営の合理化等の影響をうけに、電車新製の予算が大幅に削減をうけ、僅か1編成 10開の新製がみとめられたにけぎないのであるが、予算の余裕のつき次第電車の両数も幾分滑加されるので本年度においては現在の湘南列車の一部を電車におきかえ、26年度頭初より全面的に電車化せられることとなるであろう。 2.湘南電車の性能 湘南電車は基本編成を10両とし、朝タの混維時には5両の付属編成を増結し15 輔編成で運転される。一般に電車の長距離運転は連結開取を2~3両、多くて数両程度の小単位として高速運転を行つてサービスをはかつていて、東京・沼津間 126kmの長距離と長大な電車運転の例はあまりない。したがつて湘南電車の設計には長距離、長編成運転に適するよう考慮がはらわれている。  いわゆる電動列車(長編成電車列車)を運転する場合動力装置を集中配置する場合と、これを分散配置する場合とが考えられる。現在運転されている電車は前者の場合で、電動車1両に平均1両の付随車をけん引するのである。したがつて電動車1単位の出力は次第に大きくなり、その重量も増加し線路や乗心地に与える影響は悪くなるのである。しかるに後者を採用すれば電動車の数を増すことによりその単位出力を小さくするととが出来 したがって電動機を小形軽量にすることが可能で線路や乗心地にはよい影響を与える。又電助軸を増すととにより効果的に電気ブレーキも可能となる。しかしこの動力装置を分散する方法、すなわち編成の全電車を電動車とすることは、未だ研究の途上にあるので現在計画の湘南電率には前者の場合を採用した。 湘南電車の編成を示せげ第1図のとおりで、基本編成の 10両は沼津寄りとし、付属編成の5両は東...