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昭和25年 国有鉄道新駅設置基準 抜粋 鉄道年鑑 昭和27年

参考:駅設置承認基準(昭和26年3月)

第1 設置基準

(イ)通常列車駅

  1. 既設駅間距離が8km程度以上である事
  2. 地形、線路の状態が駅の設置に適し、且つ工事が比較的容易であること。
  3. 旅客駅のみとし、貨物取扱は認あない。
  4. 推定扱数量が1日平均侠客乗降合せて5OO人以上であること
  5. 但し僻陣地については)日平均旅客乗降合せて3OO 人以上でること
  6. 推定取扱枚入が全支出を上廻ること
  7. 駅の設置により新たな交通需要が見込まれること。
  8. 駅設置に要する用地の寄附並びに工事費の負担の申出のあるもの。
  9. 乗降場は恒久的構造とする。但し行違設備を裂する場合その工事費を除く。
  10. 既設仮乘降場の昇格に対しては原則として定員を配置しない。
  11. 信号場の昇格に対しても客扱定員を特に配置しない。,
  12. 新設駅に対しては別途定員を査定ずる
  13. 既設仮乗降場の昇格については一定の駅間距離の条件を緩和する。
  14. 交通不便の地で鉄道による外交通機闘のない所は特に考慮する

(ロ)気動車叉は電車駅

  1. 既設駅間距離が3km以上であること。
  2. 推定取扱数量は旅客乗降合せて本線及び大都市附近電車駅は2000 人以上、気動車又は支線区電車駅は2OO 人以上であること。
  3. その他は(イ)の基準に同じ。


第二今後の方針

今後当分の聞は原則として新駅の設置はしない。事情己むを得ないものと雖も地方機関限りで仮乗降場も設置してはならない。この場合には本庁に意見を上申すること


注:

・仮乗降場 許可をえ、駅の代わりに設置されていた停留所(乗降所)

・気動車駅・・・機関車牽引列車は通過するなど、その乗降数が少ない停留所



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