以下は、昭和53(1978)年3月1日に開催された、 第84回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第3号 から、営団の転覆事故に関する部分を抜粋したものです。 今後、解説検証記事なども作成していく予定でございますが、一先ず先行して当時の議事録の内容をアップさせていただきます。 ここで答弁している、 運輸省鉄道監督局長は、初代JR東日本社長に就任する住田氏です。 事故の概要は、以下の通り 2月28日に、営団地下鉄東西線の荒川橋梁を走行中の電車が突風に煽られて、脱線転覆したもので23人が負傷した事故でした。 当時の新聞記事などでは、先頭車が完全に横倒しになっている写真がアップされたものでした。 地下鉄東西線で電車転覆 2/28 午後9時34分頃 営団地下鉄東西線の西船橋行き快速列車(営団5000系10両編成)が南砂町~葛西間の荒川橋梁上で竜巻による突風を受けて後部2両が中野方面行きの線路上に横転、1両が脱線。負傷者23人 当時、ステンレスカーの車重が問題となったが、その後の調査により、走行中の列車を竜巻が直撃する確率は50~100年に1回と計算され、不可抗力という結論になった、横転した車両は損傷がひどく、 レールに乗せても走行不能のため、現地にて車体を切断、クレーン車で下の河原につりおろした 国鉄があった時代 昭和53年前半から引用 営団 5000系 画像wikipedia ポチッと押していただけますと、励みになります。m(_ _)m にほんブログ村 にほんブログ村 以下は、国会審議議事録からの抜粋になります。 ****************************************************************** 新盛 辰雄君 武部 文君 村山 喜一君 坂井 弘一君 瀬野栄次郎君 小宮 武喜君 中野 寛成君 西村 章三君 兼務 池端 清一君 兼務 上田 卓三君 兼務 小川 仁一君 兼務 木原 実君 兼務 島田 琢郎君 兼務 新井 彬之君 兼務 長田 武士君 兼務 山原健二郎君 兼務 大原 一三君 出席国務大臣 運 輸 大 臣 福永 健司君 出席政府委員