かつて日本に存在した日本国有鉄道(現在のJR各社)のイメージとしては質実剛健な車両などのイメージを持たれる若い方も多いが、ストライキばかりしていた組合があったというイメージを持つ方も多いように思います。 実際、国労・動労と呼ばれた2大組合(総評系)は、春闘以外でも政治スト(ベトナム戦争反対とか、沖縄返還反対等)を総評主導のもと実施することもあり、総評の推進エンジンのような役割を持っていました。その反面、数からすれば少数派と言え、鉄労と言う存在もありました。 鉄労は、 全日本労働総同盟(同盟)に属する組織であり、国労内の新生民同右派が中心となって誕生した職能労連などが結集した全国組織であり、総評に対抗する組織として誕生、労使協調路線を主眼とした組合で、ストライキを続ける国労・動労に対しストライキをしない組合と言うイメージがあります、しかし、必ずしもスト権を行使しない(元より国鉄には、団結権はあってもスト権は無い)とは言っておらず、場合によってはストライキも辞さないと発言しています。 昭和47年の仲裁裁定の時も完全実施されなければストライキも辞さずと発言しているように、その発言は、「蜂の一刺し」のごとく差し違えるという気持ちでストライキをするのだというのが鉄労の考え方でした。 そうした意味では、生産性運動を中止して以降、 国労幹部と当局のゆがんだ労使協調、いわゆる馴れ合いになって現場との乖離が行われていたのに対して、鉄労はその辺はある程度の距離を保っていたようにも見受けられます。 あくまでも私見であり、今後さらにいろいろと見ていく必要はあるのですが、少なくとも生産性運動中止以降の鉄労は、国労・動労からの組合員奪還の矢面に立つことになり冬の時代を迎えたわけで、1981年頃は、最後の再建計画と言われた、国鉄再建法が制定された時期でもあり、本当の正念場を迎えた時期の鉄労大会の記録となります。 にほんブログ村 にほんブログ村 *******************以下本文*************************** 同盟・全官公系の鉄道労働組合(辻本滋敬組合長、4万6000人〉の第14回年次全国大会が9月8日から10日までの3日間、静岡県熱海市内のホテノレで開かれ、向とう1年間の運動方針を決めた。 これで国鉄主要労組すべての本年度の大会は終わった。 ことしの