運輸委員会日本国有鉄道に関する小委員会の発言議事録をアップさせていただきます。
当時の国鉄に関する各組合からの視点による捉え方を見ていただければと思います。
最初の発言に立ったのは、動力車労働組合副委員長惣田清一、国鉄労働組合書記長富塚三夫、鉄道労働組合組合長坂東正一 三名が順次発言しています。
動力車労働組合副委員長惣田清一氏の発言
○惣田参考人 動労中央本部の惣田でございます。 国鉄問題につきまして意見陣述の主な事項としてあらかじめ四項目か示されていました。しかし時間の制約もございますので、また私が所属しております動力車労働組合という組織の特質上、主として国鉄の直接輸送面すなわち動力車の運転面を担当する労働者をもって組織している、そういう関係から第一項の「総合交通体系と国鉄の輸送体制について」と、第二項の「新線及び新幹線の建設について」の二つの項目は割愛させていただきまして、主として第三項の「国鉄の経営について」及び第四項の「国等の助成について」の二項目を中心にして、特に私どもが関係している部分に重点を置いて意見を申し上げたいと思います。 まず、多少総論的意見にはなりますが、今日の国鉄経営につきましてその経営形態、国鉄の経営目的としております公共性、企業性さらに独立採算性に関する動力車労働組合の基本認識はどうあるのか、この点についての意見を冒頭に申し述べておきたいと思います。 すでに国会において幾たびか議論がなされておりますし、先生方も先刻十分御承知のこととは考えまするが、われわれもまた昭和三十九年度に国鉄が初めて赤字財政となって以来、最近に至ってその赤字は物すごいテンポで拡大の一途をたどっていることは、十分私ども承知しておるところでございます。それは一つには、昭和五十年度末における欠損予定額は七千八十四億円と言われておりますし、今日までの累積欠損は約二兆九千八百億円となること。二つ目には長期債務残高ですが、約六兆六千六百億円に達する。三つ目には、したがって、本年度の支払い利子だけでも約四千二百億円、実に一日当たり十一億五千万円の利子になること、このように国鉄の財政の現状を把握しておるわけでございます。 さて、このような国鉄経営はまさに異常であります。したがって、かくなるに至った経過あるいはその原因並びにかくなさしめた責任の所在が明らかにされなくてはならないと考えます。破局寸前の国鉄経営について、一部においてそのキャンペーンが、労働組合の闘争によるものとかあるいは労使関係の悪化によるものとか、あるいはまた労働組合が運賃値上げに反対するなどを理由に挙げている部分もございますけれども、これらの見解ははなはだ的を外れたものであり、その実態の認識に欠けているか、さもなくば故意によるものであると言わざるを得ません。 これを証明するものとして、最近国鉄当局が発行いたしました一九七五年版の「国鉄の実情を訴える」というパンフがございます。これによりますと、国鉄職員の生産性をあらわすものとしての職員一人当たりの人・トンキロは、これは一九七二年、三年前の指標によるものでありますが、日本の国鉄を一〇〇とした場合にイギリス国鉄の場合は三二、西ドイツ国鉄は四九、フランス国鉄は六六であります。われわれ国鉄の労働者は実にイギリス国鉄労働者の三倍、西ドイツ国鉄労働者の二倍を輸送しているわけでありますし、国鉄を取り巻く悪条件のもとにおきまして、労働組合がサボタージュとかストライキなどの闘争をするとか労使関係が悪化しているとかを理由にいたしまして労働者の責任に帰するような生産性の低下というのは全く見られないわけであります。それどころか、むしろ世界有数の労働生産性を上げていることは明白であります。 また、人件費の経営費に占める割合が多いことを国鉄赤字財政の理由の一つに挙げまして、さらに合理化による労働条件の強化なり人員の消減を政府も国鉄当局もここ十数年にわたって労働組合に徹底した強制をしてまいったわけであります。しかしながら、昭和四十九年度予算におきまして、その歳出総額二兆九千九百三十九億円のうち物件費、人件費は一兆四千八百三十八億円であります。すなわち約五〇%でありますし、その五〇%のうちの三七%が人件費にすぎないのであります。このように考えますと、今日の国鉄財政の破局的状況をつくり出したものはだれかという問題があります。われわれ労働組合の立場として、今日まで国鉄経営につきましては労使間においてもあるいは政府や国会におきましてもその意見を求められたりあるいは交渉をした経過さえありませんから、その責任の一切については全く関知しなかったことであります。 さて、しからば一体国鉄財政を今日の事態に追い込んだ真犯人はだれか、こういうことになるわけであります。 ここで、昭和四十九年度の国会で決定を見ました当初予算を例にとって申し上げたいと思います。 昨年度の当初予算は二兆九千九百三十九億円であります。一口で言えばいまの国鉄は三兆円経済であります。そして、支出する資金三兆円の内容を見ますと、人件費、物件費などの経営費は約五〇%であります。そして工事のための経費が二三%、利息の支払いが一二%、借金の返済が一一%、その他が四%となっておりまして、出ていく金の四分の一が過去の借金の返済とその利息の支払いに充てられておるわけであります。人件費は、さきに申し述べましたとおり三七%にすぎないわけであります。一方入ってくる資金はどうか。自前でかせいだ収入といたしまして運輸収入が一兆四千百九十二億円、雑収入が六百四十五億円、売り食いの資産充当の二百億円を合わせまして合計約一兆五千三十七億円で、約五〇%であります。そして借金が財政融資なり自己調達を含めまして四三%あります。そして国会の議決による政府のまるまるの援助は七%にすぎないのであります。すなわち、入ってくる資金の半分近くが借金であるということは余りにも異常であります。しかるに政府、金融機関からの借金の一兆二千八百億というもののうち半分以上、約五四%に当たる七千億円が支払いの中では借入金の返済と利子の払いに消えておるわけであります。つまり借金を返すために借金をしておるのであります。政府の補助はお話にならない少額であります。ここに、国鉄には借金はさせるけれども財政援助はしないという、政府なり国会の姿勢が明確に貫かれていることは明らかであります。 こう見てきますと、国鉄の赤字とか財政危機とかいうものは、実態は借金の赤字あるいは国会、政府によって主導されておる政治赤字の合成物というぐあいに見ざるを得ないのであります。 さて、昭和二十四年国鉄を国有から企業体へ移すことにいたしましたのは、独立採算を原則とした方が、国鉄経営者がより効果的経営を心がけ、むだな投資や経費の使い方はしないであろう、こういう着想であったと思います。国鉄が国民に対しまして必要かつ基幹的な交通機関としてそのサービスを提供するという役割につきましては、日鉄法ができる前もあるいは後においても今日においてもいささかの変化もあったわけではありません。こういう国鉄の基本的性格があったからこそ、昭和二十四年公企体になって以来業務量は三倍にふやしましたし、反面要員は国鉄第一次近代化計画以来十五万四千人という合理化削減が実施されたわけであります。そして政府と国会は国鉄に対しまして、やれ借金で新幹線をつくれ、やれ運賃値上げを延期せよなどと命ずることができたと思うのであります。したがって、今日の破局的な国鉄財政をつくり出した元凶は、政治的決定がまず先行する、その結果として出てきたいわゆる政治赤字であるということは疑う余地がないと思います。にもかかわらず、一般会計からの出資金はわずかに六百五十億円であります。これは四十九年度の必要工事経費六千八百億円の一割にしか満たないものであります。 ちなみに参考として申し上げますが、「運輸と経済」という月刊雑誌五月号に角本良平さんという交通評論家が国鉄財政問題の論文を掲出しておりますが、その中に各国の国鉄の収支に対する赤字と政府補償額が示されております。これはもちろん一九七二年度のもので少し古いのですが、参考となると思い申し上げてみたいと思います。 赤字額は、一九七二年において日本の国鉄の場合は三千九百億円で全体の収入の三二%でありましたが、これに対する政府の財政援助は三百九十九億円で、赤字額の一〇%にしかすぎなかったわけであります。ところが同年のイギリス国鉄の場合赤字総額は千三十七億円で全体の二〇%を占めておったのですが、これに対する政府援助は八百二十七億円で約八〇%を補助しているのであります。また西ドイツ国鉄の場合には、約六千億円の赤字に対しまして、この六千億円の赤字はドイツ国鉄の場合の五一%に相当するのですが、三千七百億円、約六〇%を政府が補助しております。フランス国鉄の場合は、約四千億、六五%の赤字に対して実に政府は一〇〇%近い三千九百億円の補助を行っておるわけであります。 このように政府と国会は、高度経済成長政策に基づいて総合交通政策と称しまして、計画性のない国鉄政策を進めまして、これに伴って、われわれ国鉄労働者に対しては、さきに述べましたように膨大な輸送を負担させてきたわけであります。その結果は、急速な近代化設備投資、安全を無視した営利優先政策をとった国鉄当局との間におきまして、常に国鉄の安全輸送あるいは運転保安問題、要員合理化をめぐる労働者の配転、業務機関の縮小、廃止などをめぐって鋭く労使は対立したわけでございます。そして、労使関係悪化の最大の原因をつくってきたものと考えるわけでございます。つまり、政治的決定を先行した政府並びに国会において、出資はしない、そして設備投資の補助はしない、そして年度の赤字は補てんしない、こういう三ない主義を貫いてきたわけでございますけれども、これが国鉄の独立採算制、公共企業体の呼び名と引きかえに貫徹されてきたものと私どもは認識しておるわけでございます。 以上述べましたことが、動力車労働組合として、国鉄の経営形態、公共性、企業性及び独立採算制についての一般論としての見解であります。すなわち国鉄財政再建は、今日までの政治赤字を国会と政府が貫徹していく限りにおいて、それが独立採算制による収支均衡への復帰ということを期待するとすれば、全く実現不可能であると言わざるを得ないのであります。 次に、具体的問題についての意見を申し述べます。 第一は、安全性すなわち第三項の6についてであります。 動労には国鉄の動力車乗務員が四万四千四百名おりますが、そのうち機関士、運転士は二万七千四百四十七名であります。そして機関助士など五千九百七十四名、合計三万三千四百二十一名がおります。そして、動力車乗務員は、国鉄輸送業務という特殊性からいたしまして、直接乗客の生命なり財産、ひいては自分の生命にかかわる重要な労働を受け持っておるいわゆる基幹職種であります。したがって、国鉄の安全輸送に関連する運転保安上の諸設備についてきわめてシビアな要求を持っていることは当然であります。しかるに、さきにも申し述べましたように、国鉄経営の実態の上に国鉄当局の営利優先政策がとられまして、合理化政策による人員の削減が行われました。その代表的なものは、明治以来百年近い歴史を持つ動力車乗務員の二人乗務制が廃止されまして一人乗務が実施された昭和四十三年以降さらに加えまして線路要員の合理化による保守の手抜きによって危険線路は増大の一途をたどっております。また老朽車両の増加による欠陥車両の続出なども過密ダイヤの設定と相まって著しく安全性は低下したわけでございます。 いま、われわれが調査した二、三の例について申し述べておきたいと思います。 まずその一つは線路保守の問題であります。特にわが国の鉄道線路は外国には見られないところの水田の間あるいは川のふちあるいは海の沿岸、山谷などの地理的条件と、台風それから梅雨、積雪などの気象条件等から定期修繕と見回り監視などによって線路の正常な状態が維持されるのであります。しかるに、最近においては受け持ち線路範囲の延長とか、そして逆に線路保安要員を三分の一に削減いたしまして、一定の経験を必要とする保線作業にもかかわらず、下請の労働者による代行が増加しました。加えてスピードアップと過密ダイヤによって保線作業間合いも少なくなりまして、危険線路は東北本線、東海道本線などの主要幹線を初め全国的に存在しておるわけであります。この結果、昨年九月二十四日に発生した東北本線の古河駅と野木駅間の貨物列車の脱線転覆二重事故を初めといたしまして、ここ数年間におきまして、重大事故は北海道における富良野川鉄橋から機関車が転落した事故あるいは東北の五能線において線路が高波にさらわれまして機関車が海中に水没する事故など、いずれも機関士は即死、行方不明、こういう状態の重大事故が発生しておるわけであります。 次に、第二点として車両の安全性についてであります。線路保守問題と同様に、老朽車の酷使、修繕、保守の合理化による欠陥車両の増加などが目立っていることを申し述べておきたいと思います。 国鉄当局が発表いたしました「国鉄の実情を訴える」によりますと、国鉄の車両は機関車三千九百五十六両、新幹線の電車が千六百八十四両、旅客車が二万六千四百五十八両、貨車に至っては実に十二万八千七百六十二両、約十六万両の車両があるわけですが、この膨大な車両の検査作業の合理化が着々と進行しております。昭和四十三年以降一万一千三百名、客貨車検査体系の近代化で四十四年以降二千七百名、新しい車両検査方式で四十五年度以降二万二千名の削減を実施に移しておるわけであります。この内容は大幅な検査周期の延長をしたりメンテナンスフリーという手抜き修繕でありました。したがって、従来車両の保守のための検査、修繕に対するわれわれの思想というものは、故障をする前に事前に予防をしていく、こういう方法をとっていたわけでありますが、それ以後、今日においては事後保守方式といいまして、事故発生主義によって修繕をしていく、こういう実態にあるわけであります。この結果、車両故障は昭和四十五年の千三十五件から四十六年に至りまして千百八十二件、四十七年に至りまして千三百三十六件と逐次増大しつつあるわけであります。その安全性が車両の老朽化とともに問われておるわけであります。 第三の問題は、特に最近続発しております列車妨害事件であります。その内容はわれわれの調査によりますと、昨年四月から本年三月までの一年間に六百八十四件ありますが、その内容を検討してみますと、列車、電車に対する爆弾予告が実に三十二件あるわけであります。そしてまくら木、角材などによるところの線路妨害が八件、線路上の置き石によるところの妨害が六十五件、線路、駅舎などに対する爆弾予告が百二十四件、投石、発砲が九件、線路上に異物を放置するなどが二十七件など、主なものであります。特徴的な事件としては、本年の四月十八日に羽越線の村上−間島間におきましての列車妨害は、トンネルを出て鉄橋に差しかかる中間に線路にまくら木を針金で縛りつけた状況であります。幸い朝六時ころであり、機関士が発見、停車したため、重大事故にならなかったのでありますが、これらの列車妨害事件に対する捜査活動あるいは予防措置についての官憲当局の対応はきわめて不十分と言わざるを得ない実情にあるわけであります。 次に、要員の合理化問題、第三項の7について若干の見解を述べておきます。 要員の合理化問題は、昭和三十二年から始まった第一次近代化計画と同時に、国鉄経営者の基本政策となりまして、われわれ労働組合とは真っ向から対立したまま今日を迎えていますが、過去の実績から、われわれ動労としての関係のあった問題は、特に先に述べた機関助士廃止など一人乗務の問題と車両検査の合理化による人員削減問題でありました。今日まですでに当局は十五万四千名の合理化削減を実施済みでありますが、もはや国鉄における動力車の職場においては、これ以上労働力を削減する合理化の余地は全くないところまで徹底して強行してまいったわけであります。労使が真っ向から対立した原因、われわれの主張は、安全性を無視して進めたこと、長時間労働を放置したまま進めたこと、運転労働という職業の性格上、労働者が安易に職場の転向に賛成はできないということであります。しかるに、計画したものはどこまでも強行実施するという労働政策によりまして、労働組合との事前協議を無視したり、また昭和四十六年から四十七年にかけて行われましたかの有名な国鉄のマル生運動のように、合理化に反対する労働組合の組織はつぶす、こういうような経営政策をとり、不当労働行為や組織への職制介入などが盛んに行われたことも対立の大きな原因の一つであったわけであります。今日においては、なおわれわれの職場においては合理化政策につきまして後遺症が依然として残されております。安全性を問われる一人乗務問題なり欠陥車両や危険線路の問題、あるいはマル生運動によるところの告訴、告発事件等の多数の被害などがあるわけであります。こうした状況は依然として国鉄の合理化政策がその名のごとくに単なる合理化ではなく、働く者の職場を奪い、その労働強化なり犠牲を一方的に私たち労働者に押しつけるものとして、根強い反対闘争意識を持ち続けているゆえんであるわけであります。この合理化問題に関する限り、簡単に労使関係の正常化の機運というものがないということを明らかにしておかなければならないわけであります。 次に、労使関係の改善という項がありますので、この点について若干の意見を申し上げておきます。 労使関係の正常化とかその改善につきましては、政府も三木首相の考え方として、五月三日の長谷川労働大臣答弁にもありました。その基本に置かれるべきことは、労使対等の原則でなくてはなりません。しかるに、公共性のある企業と称しまして、憲法二十八条が示すところの労働者の労働基本権の最も重要部分であるストライキ権を剥奪してすでに四分の一世紀を過ぎておるわけであります。しかも、その間動力車労働組合の幾つかの要求につきましても、オールマイティーの政府あるいは国鉄当局によって、時には一方的に、強権的に処分が繰り返されてきたわけであります。動力車労働組合は国鉄当局の処分権によって、その乱発、乱用といいますか、それによりまして、今日において実に解雇、免職二百四十名、停職その他の処分は実に六万数千名に達しているわけであります。こうした労使関係の中で、その正常化なり改善を図るには、国鉄経営者の労務政策、政府の労働行政の転換なくしてその実現を望むことは不可能であります。それは、われわれの切実な幾つかの労働条件改善の要求について、当事者能力をだれが持っているのかを明らかにしていただく、またその交渉を平和的に進めるためには労働基本権としてのスト権の全面一律禁止を解き、行政罰からの解放を図らずして労使関係の基本的な改善は実現し得ないものと考えるのであります。 最後に、第四項の国鉄の助成についての意見を申し上げます。 すでに、冒頭に総論的意見として若干触れましたが、国鉄の経営が独立採算制をとるとすれば、どこまでの範囲で収支適合かを明らかにせねばなりません。国鉄運賃は、財政法三条と国鉄運賃法の第一条によって、国会で決められます。その決定に当たっての四原則もあります。しかし、いずれにしても抽象的であります。きわめて高度な政治判断でありまして、政府の経済政策なり物価政策によっています。したがって、企業や労働組合の問題ではないと考えるわけであります。 しかしながら、われわれは常に国鉄運賃の値上げについて反対し、時には実力行使をもってその阻止闘争を進めてまいりました。それは政府の物価政策不在の中で国鉄運賃の値上げに賛成することは、とりもなおさず、この値上げによる物価へのはね返りによって、われわれ自身の生活あるいは実質賃金の低下を生むという、そうした政府の政策に対する不満のあらわれであったわけであります。四十九年度の消費者物価の上昇率は、三木内閣の公約でありました十五%以内となりました。もし国鉄の赤字解消のためということを理由にして大幅な運賃値上げを仮に強行していたとしたならば、政府の公約はたちまち崩れて、大きな政治問題になったと私どもは考えるわけであります。こうした状況から、政権を担当する自民党なりその政府においては、その公約を辛うじて果たしたということが言えると思うわけであります。言葉をかえて言えば、私たち労働組合の反対なり野党の反対によって辛うじて三木内閣は安泰であったと思うのであります。 今年度以降の問題といたしまして、すでに福田副総理は参議院の予算委員会における一昨日の答弁において、明年三月まで国鉄運賃の値上げを凍結する態度を明らかにいたしました。しかし、従来の政治方針と同じように今日まで累積した赤字をそのまま放置するとすれば、さきにも申し述べましたように、再びこれは政治赤字を増大するのみでありまして、全く無責任と言わなくてはならないのであります。したがって、われわれは、預けられました項目の最後の項目にあります国鉄の基礎的施設に対する助成の問題、さらに地方交通線に対する助成、公共割引に対する助成、市町村納付金の免除等を含めまして、長期債務のたな上げ、それから利子返済の政府肩がわりなど、大胆な助成策に転換することが今後の国鉄財政の再建策と言えるものであると考えるわけであります。 以上、きわめて項目をしぼった部分的な意見になりましたが、動労の立場を中心にいたしました参考人としての意見の陳述を終わることにいたします。(拍手)
国鉄労働組合書記長富塚三夫氏の発言
○富塚参考人 国鉄労働組合の書記長の富塚です。 私は主に働く国鉄労働者の立場から、国鉄経営問題についてどのように見るか、どのように対処すべきかということについて申し上げたいと存じます。 まず第一は、国鉄経営が悪化している現状をどのように見るかということであります。 一つは、われわれ国鉄企業に赤字が生じたのは、多くの方も言われていますように、戦後独立採算制のもとで産業経済復興に貢献させられてきたことに大きな原因があると思います。加えて、六〇年代の経済の成長を図る中での設備投資、そういう役割りに充てられたことが非常に経営を悪化しているものと考えます。本来飛行機あるいは港湾、船舶、道路、自動車関係などは、いずれも国家の財政援助またはその他の援助措置がとられているのでありますが、国鉄に対する助成の措置は、ほとんどと言っていいぐらいとられてきていないのではないかと考えます。また、他の産業では利潤を上げるために拡大事業、すなわち経済規模を広げてその目的を達成してきておりますけれども、国鉄の場合には日本国有鉄道法の制約があって、それすらもでき得る状況にありません。また、貨物輸送そのものをとってみましても、本来契約業務的な性格を擁しておりながら、実際には資本の側に隷属させられてきている。この事実は否定できません。他に自動車輸送との競合の問題もありますけれども、抜本的に政策の確立をしないことにはどうにもならないということだと思います。 一方で、再建計画が何回か立てられてまいりましたが、企業の努力は当然合理化施策となって経営者の側は打ち出してまいりました。いま動労側からも言われましたように、大幅な人減らし計画が立てられ、その結果、安全性を阻害するような問題点が数多く出てきているということであります。この合理化施策も、予算人員をあるいは実際の人員を何万人削減せよと政治的に決定をして、全く論理性、実体性を伴わないままに合理化計画を強行する。だけに、結果は労使間の摩擦、内部の摩擦が限りなく起きているということが実態ではなかったでしょうか。 かつて国鉄当局は、再建計画を推進する中で、生産性向上運動を展開しようとしてやりました。それが結果として国労や動労の組織破壊攻撃をねらう不当労働行為か誘発をされ、労使関係は完全なる亀裂状態になったことも先生方が御承知だと思います。これか今日の国鉄の経営が悪化をしている現状についてのわれわれの基本的な見方であります。 次に、他の産業と比較をして人件費が非常に高いということを申されますが、その占める割合と、原因は一体どこにあるのかということについて申し上げてみたいと思います。 資本の有機的な構成の低い企業は、一般にその企業の中で占める人件費の割合が高くなっています。それは諸外国の鉄道の例に比較しても全く同様でありますし、国鉄企業の持つ性格、たとえば安全の確保、サービスの向上を至上命令とすることから言っても当然と言えると思います。 国鉄はちょうちん型要員構成、こういうことを俗に言われています。そして現在では四十五歳以上の職員が大半を占めています。四十歳以上が六〇%を占めています。勢い人件費も高くなるということになっていますが、これは考えていただきたいのは、終戦後に大量に復員をして国鉄に復職をした労働者をたくさん抱えているという現状からできた状態なのであります。だけに、人件費の割合が非常に高いということは、特殊な状況に置かれているということについて理解をしていただきたいと思います。 三番目に、安全確保に関する問題について若干申し上げてみます。国民の輸送需要にこたえるということが何よりも先決だ、至上命令だということの中で、ややもすると安全確保の視点に立つ施策が十分とられないままに需要にこたえるための輸送計画が先行して立てられるという結果が非常に多くあります。結果として、保守作業をする間合いが少ない、あるいは設備投資が十分になされていない、合理化施策によって検修回帰キロが延長されたり、あるいは人手不足によって点検作業も十分になされないという状況が随所に出ているということなんであります。 また、サービスの低下があるじゃないか、よく批判をされます。なぜサービスの低下が起きているのか。考えてみますと、これも人減らし合理化にあることは間違いないと思います。人員を削減するために保守作業あるいは案内業務、清掃作業、すべて民間の会社に委託をしています。そして国鉄関連企業体制というものができているんですが、私どもはこの国鉄関連企業のあり方の問題には多くの問題が存在しているように思います。たとえば同じ保守を行う会社にいたしましても、数多い会社が存在をしますから、仕事の奪い合いをしたり、あるいは労働力不足のためにこそくな手段をとるという例がしばしば起こっているということであります。だけに、私どもは委託会社、外注会社の一元化方式を検討したらどうかということも再三当局側に要求をして申し上げているところであります。 以上の状況を踏まえて、新しい国鉄再建への課題ということについて申し上げてみたいと思います。 まず一つは、経営の民主化を図るべきである。すなわち国鉄内部の実情をもっと国民の各位に理解をしてもらう方法を考えなければいけないんじゃないか、それには監査委員会、または新たに経営委員会を設置をして、国民の代表あるいは国鉄を利用する者の代表を参加させる中で、具体的にガラス張りの経営をするという状況の中で国民各位に知ってもらう、理解をしてもらうということを考えるべきじゃないだろうか。国鉄当局のPRは全く不十分だし不足していると思います。そして国鉄経営は全く独善的です。だけに、たとえばダイヤの編成、経営内部事情も専門化して、国民に納得してもらえるようなことが非常に少ないのであります。けさのある新聞に出ていましたけれども、特急列車が急行列車より遅いといったところのダイヤの作成の問題なども、どんなに言いわけをしてみても現実に独善的なやり方ということについてもっと反省をして、国民の側、利用者の側に立つそういったダイヤの作成にかかっていくべきじゃないかというふうに思います。 目下、国鉄内に設置されております国鉄新経営計画推進委員会、あるいは運輸省内に設置されています国鉄財政再建問題検討委員会、あるいは本日開会されております国会内に設置されている国鉄問題小委員会等と、国鉄の経営機構が効果的に結びついて有効な方向を出していただきたいと思うし、そのことに注目を払いたいというふうに思います。 三つ目の問題は、学閥制度を再検討して人事登用のあり方について考慮を払うべきであろうと思います。すなわち有能な人材を適材適所に配置登用するという仕組みに変えていかなければならないのではないかというふうに思います。学閥制度問題について組合側も多くの問題点を指摘しています。あるいは過日の参考人の陳述の中にも問題点が指摘されておりますが、われわれは基本的に有能な人材を適材適所に登用すると、このような仕組みに変えていくことを強く求めたいと考えます。 四番目には、今日までの赤字及び債務は以上の経過をたどっている状況の中では、すべて国が肩がわりするようにすべきであると考えます。 次に、運賃問題についてでありますが、私どもは二つの部分から再検討すべきであると考えています。その一つは、現在の社会、経済情勢に適応した運賃であるかどうかということが一つです。二つ目には、運賃制度そのものについての検討ということの立場で検討を加えるべきだと思います。総じて適正運賃のあり方について検討を加えることには賛成であります。 運賃問題の検討は、企業の収益採算も重要ですが、それだけでも問題があることは周知のとおりであります。いわゆる国家の財政、金融政策との関連において国民との、あるいは労働者とのコンセンサスが得られるように対処すべきではないでしょうか。その意味でも国鉄の事情をもっと国民諸階層に十分知っていただく、理解をしていただくということが必要だというふうに考えます。 また、基本的には独立採算性について再検討をすべきであり、市町村納付金は国が肩がわりを行い、公共割引に対しては助成措置を講ずるべきであるというふうに思います。そして政府が国鉄企業に出資または助成する措置のルールを確立をしていただきたい。これがなければ国鉄の健全な経営は成り立たないだろうと考えます。 国鉄経営が企業性をとるか公共性をとるかということの問題の議論がたび多く出てきます。私どもは企業性をとるか公共性をとるかということについて国民的な視点から考えてみるならば、両者を一致させることは矛盾するものじゃない。企業性、そして公共性を一致させるということはでき得る課題だと考えます。 仮に公共性を考えるならば、通勤輸送、中距離輸送、安全、正確、迅速という国鉄の持つ使命の課題を追求することは当然ですし、それは国が金を補助をすべきだというふうに考えます。また新線開業あるいは新規車両購入等についても政府が出資を行うというのは当然ではないでしょうか。反対に企業性を追求するという場合には、むだな管理機構や輸送計画、あるいは私どもが常に指摘をしておるのでありますが、鉄道公安官などは警察が肩がわりをし、政府が肩がわりをする性格のものであると考えるのです。あるいは交代勤務でやや三倍の労力を費やしている夜行列車の運転などはやめてもいいんじゃないか。いわゆる青森を夕方に出て上野に朝着いて、次の日働きやすいような状況をつくるような列車の運転などは、意味がないんじゃないか。博多までは新幹線は日中に運転をしている。つまり乗客、国民にわかってもらうためにはそのぐらいの企業性の追求があってもいいんじゃないかと考えるわけです。 次に、要員問題について申し上げますと、動労側からも言われましたように、平均年齢が非常に高齢化している、老齢化しているという現状について、どのように転換を図るべきかということについて真剣に考えていくべきだと思います。 たとえば高校卒新採者が激減をする、つまり労働力人口の推移について見ますと、あと三年後ほとんどの家庭が高校から大学に入学をさせるという状況では、高卒の就労人口は激減をする傾向をたどるだろうと言われています。だとすると、魅力のない国鉄の職場に入ってくる高卒の労働者はいなくなってしまう、少なくなってしまうという状況について、高齢化している現状の労働者と、それをどうつないで国鉄の経営の完全な維持、発展を図るかという兼ね合いについて真剣に検討されるべきではないでしょうか。 ドライバーの平均は四十歳を超しています。また新幹線博多開業によって、トンネルが多いために職業病の続出傾向が生まれてきています。そして汚染職及び労務職、これは私も昨年世界の鉄道労働組合のセミナーに出席をして感じたことなんですが、世界各国共通して労務職が不足している、汚染職が不足していることは事実ですが、こういった実態にどう対応するかということについて考えていただきたいと思います。 国鉄労働者は働かないでサボタージュばかりやって、ストライキばかりやっているじゃないか、こういう批判がよく言われます。私どもは国鉄労働者は一生懸命に働いていると思っています。惣田副委員長は諸外国の例のいわゆる生産性を上げている指数について申されましたが、私は職場の実態について簡単に申し上げたいと思います。 国鉄の職場は全く魅力がない職場だ、汚い職場だ、そして長時間の労働だ、危険な仕事をしている、このような状況で、給料袋の問題もいずれ先生方に生の給料袋をお配りをして、お見せをして理解をいただきたいというふうに思いますが、全く安い低賃金の状況に置かれています。仮に徹夜勤務、われわれは一交代勤務と申しておりますが、早番、遅番、たとえば早い時間に寝て、夜中に起きて働くなんというそんな仕事はもうばかくさくてできないというのがいまの若い青年労働者の気持ちです。人の前で便所掃除なんかやれるかい、ほうきなんか持って立てるかいといったのが高校を卒業して国鉄に就職された人の偽らざる気持ちです。有楽町の駅でも、新橋でも新宿でも、渋谷でも池袋でもそうですが、駅長室がどこにあるかわからない、職員が休んでいる部屋がどこにあるかわからない。行ってみると、一番奥の薄暗い片すみのところに汚い畳を敷いて、そして万年床にしている状況の中で実は睡眠、仮眠をとっているんです。日の当たるよいところはほとんどデパートに貸す、あるいは他の企業に貸すということをやって、まさに劣悪な条件の中に、環境の中に生活しているという鉄道労働者の実態について十分理解をしていただきたいというふうに思います。これは私どもがやはりPRが足りないという点も反省をいたしますが、国鉄当局の側も、何かこれを部外に明らかにすることは恥をさらすことだなどと思わないで、大胆に問題点は国民諸階層に見ていただく、わかっていただくというふうなPRの措置をとるべきではないでしょうか、そのように考えています。 次に、公害問題について若干申し上げますと、騒音や振動問題についてもっと積極的対策を講ずべきだと思います。国民諸階層の注目は、かなり公害問題に目を向いてきています。たとえば新幹線の場合には百六十キロの最高速度で運転をするとそう問題はないんじゃないか。あるいは市街地に入る場合には運転速度を百十キロに各列車総じて落とすことになれば、金を使わずにも騒音問題、振動問題の公害が解決できるんじゃないかというふうに思うのであります。その意味で、もっと真剣に公害問題に積極的に取り組んでいただきたいというふうに思います。 最後に、労使関係の改善の問題について意見を申し上げたいというふうに思います。 積極的に労使関係の改善を図るように努力をしていただきたい、すべきだというふうに思います。 私もきのう閣僚協専門委員会懇談会に国労を初めとする公労協の立場について見解を表明いたしましたが、いま昨年の七四年春闘の際の政府側との合意に基づきまして、閣僚協を設置をして、また専門委員会を設置をしてことしの秋までにいわゆる第三次公制審の答申に基づく経営者側の当事者能力と労働者側のストライキ権、争議権の回復の問題について検討をして結論を出すことになっています。先ほど惣田さんも言われましたように、かつて国鉄当局は生産性向上運動ということによって合理化に反対しない組合をつくる、あるいはストライキを行わない組合をつくるということなど、これはある意味では経営者の考える当然の筋かもしれませんが、しかし現実に労働者と労働組合の協力なくして再建計画ができると思ったところに大きな錯覚があるのではないでしょうか。私どもは一刻も早くストライキ権の回復を図り、同時に国鉄当局側に当事者能力の回復を認めていただいて、お互いに立場を尊重し合う、お互いに社会的責任の自覚の上に近代的な労使関係の確立を図っていくことが急務だと思います。その意味で国鉄労働組合も懸命な努力を続けている所存です。マル生運動、かつての生産性運動のように錯覚的な労務政策をとるということではなくて、経営問題については労働者と労働組合の協力のもとで進められるように、その配置を十分していただきたいというふうに思います。 限られた時間でありますので、十分申し上げることはできませんが、ぜひ諸先生方にも努力をしていただいて、新しい国鉄の再建のために努力をしていただきたい。われわれ労働組合も以上の立場で申し上げた角度から最大の努力をするつもりであります。 以上で終わります。(拍手)
最後は、鉄道労働組合組合長坂東正一氏の発言
○坂東参考人 鉄労の組合長の坂東でございます。
冒頭に国鉄経営の悪化の原因等について私どもの考え方を申し上げたいと思います。
御承知のように、戦後の復興期からいろいろと産業の発展のためにという口実で国鉄が強いられてきた犠牲というのは、前段の参考人の表現の中にもございましたように、われわれが共通に認識しておることでありますが、特に重要だと思います点は、確かに政府の対応というものに不十分なものが多いと思いますが、それにも増して国鉄の経営者側のいわば勇気のない行動が多くの原因を導き出している、このように思います。特に昭和三十年代から進められてまいりました何回かの長期計画あるいは財政確立に関する施策というものについて、それは結果を見て議論をするという意味ではなくて、現実に長期計画として国鉄の経営を容易にするというような裏打ちのあったものではなかったのではないか。率直に申し上げると、その場限りの、当面一、二年何とか城がもてばいいということに終始してきた国鉄の経営者、またその背景にある政府当局の考え方が強く影響したのではないかというのが私どもの第一の理解であります。
特に昭和四十三年までは運賃値上げ、それに伴う合理化という形で何とか経営の数字を調整するという努力が続けられてまいりましたけれども、結局そういった小手先の細工ではものが回らない、どうにも解決しないということに落ちついてまいりました。昭和四十三年の予算を決定した段階から御承知の国鉄財政再建計画という取り組みが始まったわけでありますが、それまでぬるま湯につかったような方針をとってきた国鉄にしては、この脱皮はかなり英断だとわれわれも当初受けとめました。残念ながら、財政再建計画の策定の段階でそれまではひた隠しに隠してきた内容をそれぞれ関係をする政府あるいは学識経験者等に手のうちを明らかにしたことは事実でありますけれども、それを長期再建計画として組み立てる段階で余りにもその手法に無理がありまして、率直に申し上げて、十ヵ年計画の終末に黒字になることを表現するために大変な苦心の労作が行われたと受けとめておるわけであります。結果として現実性のない、きわめて空虚な再建計画を国会の審議にゆだね、内外に明らかにしてきたと受けとめておるわけであります。
特に私がこの問題について冒頭に強調いたしたいと思いますことは、現在の労使関係を形づくっておる、民間を含めてその企業が健全にしかも民主的に進められておるところでは、労使の協議という問題がその企業なり産業の将来の展望を明らかにする段階で真剣に行われ、労働者の意見を大きく取り入れた財政再建の計画でなければ今日的な情勢の中で本当の意味の再建というものは困難なのではないか、このように考えておるわけでありますが、先ほど申し上げました三十年代からの国鉄における諸計画というのは単に経営の側の一方的な発想を、背景にあります運輸その他の関係省庁との間の調整、さらには国会における政府側案としての提出、可決という形でこなされてきたとわれわれは受けとめておるわけであります。
一例を申し上げますならば、財政再建計画それ自体の根底となるべき収入の面ではとうてい到達でき得ないと思われる数字が十ヵ年計上され、支出の面ではとうていそれでは困難だと思う緊縮した計画が発表されたというのが内容でありまして、国鉄財政再建計画は昭和四十四年度を初年度として五十三年度を終年度とする十ヵ年計画でありましたが、計画の第一年度から大きな蹉跌を来し、二年度にはもはや収拾の方法がなかったということはすでに先生方御承知のとおりであります。
私どもは、国鉄の経営上の問題を、後ほど申し上げる政府の施策の点についてかなり詳細に言わせていただきたいと思いますが、基本的な立場としてはそれ以前に日本国有鉄道を代表する経営の側の姿勢、経営の側の労使関係に対する認識、こういった問題について十分な理解と今後の反省がなければ国鉄のいわゆる新しい出発ということについて自信のある答えは出されないのではないか、このように考えておるわけでありまして、労使協議制度という問題、この問題について格段の御理解と今後の御配慮をいただきたいものだと考えておるところであります。
そのことを前提といたしまして鉄道労働組合は、過去における国鉄の経営上の困難性に関しまして、その持つ労働組合としての基本的な主張といたしまして、従来からの国鉄に対する政府の関与並びに財政を確立するための諸施策ということについて、すでに第一次の国鉄再建に関する意見書というものを昭和四十四年十月に策定をいたしまして、日本国有鉄道並びに当時国会に在籍された諸先生にその考え方を提示してまいったところであります。昭和四十四年の段階で私どもが再建について考えました内容を現在の段階で照らし合わせて見てみますと、基礎的な数字に、いわば日本の高度成長という時代を迎えましたために、数字的な面でかなり懸隔が出てまいっておりますが、基本的な主張点としてこうあるべきだと指摘をし、その改善を求めた問題は現状においても大きな変化がない、このように思います。基本的に私どもが当時、四十四年に再建の方策として打ち出した問題の一つは、過去の債務のたな上げ、肩がわりということが一つであります。これは先ほど来二名の参考人の言明の中にもございましたように、国鉄に背負わされてきた因果とも言えるような厳しい制約、重荷というものに対する、いわば具体的解決の方策だというふうに考えたわけであります。国鉄に対する財政的な援助、財政的な出資、こういった面についての過去の冷酷な取り扱いに対する私どもの回答であったわけであります。
率直に申し上げまして、国鉄に対する日本の国の求めてきた多くの要求というのは、一言で申し上げると、残酷という名に値するものであったというふうに考えておるわけであります。日本の国の産業発展のために、太平洋ベルト地帯を中心とする急速な日本の工業化へのその大きな支えとして、国鉄に依存されてきた大都市の通勤通学輸送なり、都市間の乗客の大量輸送なり、あるいはまた大量の長距離貨物輸送なりといったもの、それを可能にせしめるための大変な要求というのが日本国有鉄道に対して行われたことは事実であります。
御承知のとおりでありますが、東京を中心とする国電区間の列車の運転状況というのは、国鉄あるいは鉄道に従事する世界各国の人々がこれを見て、まさに奇術的だと言われ、どうすればそれほどの過密のダイヤが運行できるのかと、むしろ不思議な感じを持ったというほどの極端なものであります。ものすごい輸送需要に対して、国鉄に課せられたこれらの極端な過密ダイヤというもの、あるいはまた過密地帯ができ上がるに伴って生まれてまいります過疎地帯に対する対策。ほとんど毎日の乗客を扱うこともないような地域でも、駅をそこに残し職員をそこに配置するということについて、その当該地方においては、失礼な言い方でございますが、自民党から共産党に至るまでの超党派で、とにかく無人駅反対、貨物の集約反対、ずいぶんと熱心に、まさにむしろ旗を立てんばかりの勢いで追及をされてきた歴史は数多いわけであります。日本国有鉄道に一体どうしろと言うのかと言いたくなるようなことを日本の国は求めてきたわけでありますから、そうしておいて、その必要によって生まれたところの国鉄の投資を、すべてその元利を償還して、それを国鉄職員の体で払えと要求してきたのが日本の国の政治のあり方であったのではないか、このように考えるわけでありまして、われわれ、やはり日本国民の一人として働く職場を国鉄に持った以上、その重要性、公益性については十分に理解するものでありますが、その膨大なる国家的要請の投資を国鉄の労働者の体で払えという行き方に対しては、断じて容認できないところであります。したがいまして、そういった基本的な理解のもとに、過去のいわゆる債務というものについては当然国において肩がわりをすべきである。では、肩がわりをされた後の現在以降の問題についてはどうするのかという点について、当時すでに私どもは、競争条件の整備、公平化、さらには適切な範囲での事業範囲の拡大、運賃政策の面に見る公共負担のいわば可能最大限の解消、ローカル線対策、新線建設と鉄道建設公団によって行われる無軌道とも思える建設計画の廃止、日本国有鉄道の責任においての新線の建設、こういった形のものを提案してまいったわけであります。このことは現在の状態におきましてもおおむね適合する問題でございます。その他に、地方におきますいろいろな問題、地方公共団体に対する税金の納入等の問題を含めまして、日本国有鉄道としては財政的に多くの困難に立ち至っておるわけでありますが、これらを総じて申し上げますならば、国の国鉄に対する関与のあり方というものについて責任を持った対策を立ててほしいものだというのが基本的な要望になるわけであります。結局、ここまで国鉄を日本の国のために必要としたのでありますから、これから国鉄をしてさらに国民の国鉄として効果ある機能を果たさしめるためには、強力なる政府のリーダーシップを必要とする。その方向は、前段申し上げましたように、国鉄をして生きていける、国鉄をして働きがいのある職場にしてほしいという強い要望であります。
新幹線の膨大な建設計画も、発表されてすでに日を経過しておるわけでありますが、いたずらに、東海道新幹線における国鉄の血の出るようなその保守と人身災害をつくらない安全輸送ということに支えられて、世界一を誇るこの新幹線の成功、さらには博多開業の成功、国鉄の労使を挙げて血みどろになって安全性を確保してまいりましたこの成功に、いわばおっかぶせまして、日本の国を縦横に結ぶ新幹線計画というものも言われておるわけでありますが、新幹線計画に対する将来の展望、現在いまだ開発されていない地域における新線建設に対しても、もう少しまじめに、という言葉が言い過ぎますと、慎重に、かつ効果的に方向づけをお願いをいたしたいし、取り組みを進めてほしいものだ。そういったことなくして国鉄に対する再建の問題を論議をされましても、国鉄に働く労働者の一人としては迷惑でございまして、その点を十分に御理解をいただきたいと思います。
私どもは欧米の鉄道の例を見てみましても、日本の固有の国土の状況、国鉄における在来からの技術陣の研さんによるところの優秀な技術、能力というものを勘案いたしまして、日本における交通網の将来に向かってもなおかつ国鉄の健在であることの必要を痛感しておるものでございますので、そういった観点から、国鉄に対する対策というものについて一段の配慮をお願いをしたいと思います。
具体的な数字を挙げて財政問題を論議したいとは考えておりませんが、いま申し上げた、国鉄におんぶして日本の国は戦後のいわば産業復興の時代を順調に進めてきたということは私は言い過ぎではないと考えておりますので、世界の風潮から見るいわゆるモータリゼーションの影響、自動車の普及、こういった問題との関連から、改めて総合交通体系というものについて真剣な討議が必要となってくるのではないかと思われます。
いずれにしても、国際的に資源の問題に制約を感じる時代に入ったわけでございますから、省資源型の交通機関としての国鉄の今後の使命と負うべき任務はより重大なものがあると考えております。そういった点について十分なる検討を先生方の努力によって進められ、さらに、よりよい結論を出していただきたいことをこの機会にお願いをしておきたいと思います。
次に、冒頭申し上げました労働者の意見をくんで労使協議の成果を上げるべきだという点について、今後の国鉄経営の前進のためにさらにこの点について一言申し上げておきたいと思います。
経営参加という言葉がよく用いられまして、多くの方々の間でその概念というものはすでに理解をされておるものと思いますが、少なくとも今日以降この四十数万という巨大なマンモスの企業、しかもそこに働く労働者はすでに労働組合にそれぞれ組織をされまして強い発言権と提言する能力を持っておるわけでありますが、それを頭から認めず、団体交渉は労使の労働条件を整えるために必要であるけれども、経営のあり方は経営者の方寸にあるという独善的な行き方というものは、もうこの辺で店じまいにしてはどうか。失礼な言い方でありますが、冒頭申し上げたように、幾たびか策定した国鉄当局とそれに関連する方々の手による施策はいずれも数年を経ずして崩壊をしたという事実をお考えになるとき、経営サイドにおける発想だけでこれからの重要な時代の国鉄の経営というものを事実上運営することは困難である。そこで労使協議制度というものについて前向きな取り組みが必要なのではないか。
ここで問題になることがあります。それは労使協議制度ということについて若干私どものような立場でない立場で理解をしておる労働組合の集団がいるということであります。しかし、労働組合の側が労使協議制度ということに仮にいろいろな従来の経緯から難色を示しておるとしても、経営参加という問題について疑問を持っておるとしても、経営の側のリーダーシップとしては労働組合の経営参加と労使協議制度への積極的な参加という形、関与という形を進めていくべき任務が経営の側にあるのではないか。しょせん労働組合の協力なくしては、今日以降の日本国有鉄道の健全な発展と、国民に迷惑をかけない前進ということはあり得ないわけでありますから、労使協議制について、格段の理解を賜りたいものだと思います。
特に、私どもは前二者と異なりまして、生産性向上に関する基本的な理解というものを異にしておるものであります。したがいまして、生産性の向上を強く進めるべきだとする鉄道労働組合の立場と、生産性の向上というものに対して、従来の経過からそれを疑問視あるいは反対をする労働組合集団が存在をいたしますが、洋の東西を問わず、その国の体制の差を問わず、生産性の向上に努力するということは当然のことでありまして、生産性の向上に努力をしない企業などというものは民間であればそれは当然倒産、崩壊すべきものであり、公共事業等にあってはそれは国民の迷惑をいわば倍加することになろうと考えます。
そういった意味で、日本の高度の経済成長がいわば民間を中心とする生産性向上の成果によって支えられてきたという事実、そのことにわれわれはやはり着目しなければなりません。したがって、今後とも生産性の向上ということに対しては日本国有鉄道は積極的に取り組むべきでありまして、過去における生産性教育の失敗、特に指摘がございましたように、行き過ぎた部分が指摘をされて不当労働行為救済命令等の事件が起きたことは事実であります。それは不当労働行為という事件を起こした部分について論議すべき問題であり、生産性の向上をあくまでも推進するということは日本国有鉄道にとって当然の責務であると考えます。しかるに生産性教育のいわば途中における事故のためにそれを中止する。国会においては、これは国鉄の新しい経営理念でありますから、起きた不幸な事態に対する対策と、この経営理念の遂行とは別個の問題ですと当時の責任者は明言しながら、竜頭蛇尾に終わりまして、まさにこれを挫折せしめて日本の産業界全体から物笑いになっておるという事実について、私は強く反省すべきだと思います。
同時にまた、こういった生産性教育に対する反動とも言うべく、労働組合の中には減産闘争などという指令を職場に流し、生産性を低め、労働者個々人の理解と個々人の認識とによって生産性を減ずるために、それを労働者の抵抗闘争として持続的、長期的にやれなどということを指導している向きもあるやに聞いております。これまた言語道断な行為でありまして、あくまで労働者は生産性を高める中からそこに労働者の適切なる配分を求めていくべき立場に立つというのが今日先進諸国における労働組合の一般的あり方でありますことを、この機会に若干指摘をさせていただきまして、経営の側の反省と労働組合他集団の建設的なる取り組みを期待をしてやまないところであります。
ちょっと話が横道にそれた感じがありますが、特にこの点申し上げておきたいと思います。
いま日本国有鉄道に対する国民全体の間の指摘と期待は、特に生産性教育の挫折以降に関連いたしまして、経営者なり管理者が経営者らしく管理者らしくない体質が多くにじみ出ている。それにはそれだけの経緯があったものということを否定はしません。しかし経営者が経営者らしく、労働組合が労働組合らしく取り組んでいくところに私は労使関係の正しい発展があると思うわけであります。あるときにはいたけだかになって労働組合に対して強く物事を押しつけてくるというような姿勢をとるかと思えば、あるときには、今度は労働組合に突き上げられると一目散に逃亡をするというようなそういった不見識なことでは、とてもこの巨大企業が将来にわたって二十一世紀の交通網の期待にこたえることはできないと私どもは考えるわけであります。安全な運行の確保の問題にしても、あるいはサービスの向上の問題にしても、その他多く求められております参考人に対する質問要旨について、私は究極、経営が毅然たる姿勢をもって、国民のための国鉄というものに対して改めて眼を開いて取り組んでほしいということであります。
私ども鉄道労働組合は、従来も再建に関しましてその持論のもとに及ばずながら努力をしてまいったつもりであります。今後もまた日本の国鉄が国民に愛され、さらには日本の国の将来の発展に依然として重要な役割りを果たしていくことを心から期待しておるわけでありまして、本委員会が積極的にその方向について御尽力あられんことを期待をするものであります。
最後に、労使関係の問題に関連をいたしまして、スト権の問題がいま閣僚協議会専門委員会において、われわれの陳述を含めて取り扱われておりますが、国鉄の労使関係を律するに重要な影響を持つスト権の問題については、国鉄労働者にスト権を与えるという基本的方向をぜひ貫いてほしいと思います。巷間国鉄に対するスト権を与えることは、いまでもずいぶん大変なのに、これ以上スト権を与えるとどうなるかなどということを言う向きがあります。そういった声が世間の中に相当存在することを私どもは否定はしません。しかし昭和二十四年以来実に二十六、七年にわたって国鉄の労働者に頭ごなしにスト権を制約してきて、それを法を越えて、あえて違法行為をするものと、法を守るべきだとして取り組んできたものとに分かれて労働組合は組織されておりますが、そのいずれの立場から見ても、いわば他の公共企業体における例と勘案いたし、諸外国の例も多く見聞するにつけ、国鉄労働者に対するスト権の一方的制限は妥当なものではない。少なくとも制定の段階における国内情勢というものには一つの根拠があったかと考えられますが、今日の時代になおかつスト権問題について頑迷な態度をとられるとするならば、それは日本の国の将来を誤るものであるというふうに考えます。
どうか先生方におかれましては、国鉄問題の終局の大きなポイントとなる国鉄労働者に対するスト権の与える方向について、スト権を認める方向についてぜひ御配慮あらんことを特に最後に希望いたしまして、非常に大まかな表現になったかと思いますが、鉄道労働組合の意見の陳述を終わりたいと思います。(拍手)
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