桜木町事故の国会審問、第5回目 運転士の審問が続きます。
**********************桜木町事故国会審問の議事録***********************
○篠田委員長 もう一ぺん聞きますが、鉄道としてはそういうような事故というものは、珍しい事故ではあるけれども、しかしそういう事故が起つたときに対する措置とか、あるいはまた救済方法などについて、あなたは全然教育を受けたことはないというんだけれども、ほんとうにそういう教育を受けたことはないか。
○中村証人 別にそういうような事故に対してはありません。
○篠田委員長 どういう事故のときにだけ教育を受けておるか。
○中村証人 結局車両が故障で、電車がえんこしてしまつたとか、そういうようなときには……。
○篠田委員長 もう一ぺん聞きますが、鉄道としてはそういうような事故というものは、珍しい事故ではあるけれども、しかしそういう事故が起つたときに対する措置とか、あるいはまた救済方法などについて、あなたは全然教育を受けたことはないというんだけれども、ほんとうにそういう教育を受けたことはないか。
○中村証人 別にそういうような事故に対してはありません。
○篠田委員長 どういう事故のときにだけ教育を受けておるか。
○中村証人 結局車両が故障で、電車がえんこしてしまつたとか、そういうようなときには……。
○篠田委員長 あなたは電車の方だから関係がないかもしれないが、なだれのような場合には……。汽車の運転は教わつたことはないのですか。
○中村証人 ありません。
○篠田委員長 どなたか御質問ありませんか。塚原委員。
○塚原委員 戦争後非常に速成の運転士がたくさん出ておるように思うのですが、あなたの経歴を伺つていると、相当長い間の教習所生活また訓練を受けておると私は思うのですけれども、大体国電の運転士をやるまでには、最小限度何箇年くらいの訓練を必要とするのですか。
○中村証人 初めからでありますと、大体一年半くらい、一年半か二年くらいであります。
○塚原委員 そうしますと、あなたは割にヴエテランの運転士であると私は考えておりますが、しかも先ほどの委員長の質問に対して、応急処置に対しては、月に二回現場において訓練を受けておるということをあなたはさつき証言されました。私らがうわさに聞いておるところによりますと、この月二回行う訓練というものは、きわめて形式的のものであつて、ほとんど身の入つた演習はしておらぬというふうに聞いておるのですが、髪際にどういう訓練をあなたは受けましたか。それを説明してください。
○中村証人 月に二回というのは、結局その一箇月くらい前あたり起つた事故を基準といたしまして、それを復習みたいに、その場合にはどうしたらいいか、そういうような状態であります。
○塚原委員 それは学科の訓練ですか、それとも実地の訓練ですか。
○中村証人 学科も実地も両方やります。学科のときもあります。実地のときもあります。
○塚原委員 実地の場合には、実際に電車を持ち出して、そういう状態をつくつて、教官なりなんなりが説明して、あなた方運転士の一人々々が、そのときにはこういう操作をする、ああいう操作をするということを実際に教育を受けていましたか。
○中村証人 実際に仮設の故障をつくりまして、それで一人々々やらせます。そしてやつたあと、このときはこういうふうにするのである、ああいうふうにするのである、そういう指導であります。
○塚原委員 何名くらいを単位として訓練しましたか。
○中村証人 大体一日に七、八人ずつです。それは時間のあいまにやるのであります。
○塚原委員 あいまというと。
○中村証人 長い時間やるのじやなくて、乗務の時間のあいまを見てやるのであります。
○塚原委員 ですから世間でいわれている非常に形式的な訓練に落ちてしまつて、たとえば教える人が簡単な学科の訓練をして、そして解散してしまうというふうに私たちは聞いておるのですが、あなた方が実際に訓練をお受けになつて、身の入つた訓練であるとあなたは考えましたか。それとも、単に形式的にやる訓練であると考えましたか。どちらですか。
○中村証人 結局それはやる人の問題だと思います。教育を受ける人本人が、身を入れてやれば十分役に立つと思います。
○塚原委員 あなたはどう考えましたか。
○中村証人 自分は全部身を入れてやつていたつもりであります。
○塚原委員 話は前にさかのぼりますが、あなたは戦争中にも運転士をしておられましたね。
○中村証人 やつておりました。
○塚原委員 あのころ運転台のすぐうしろの方に乗つておると、いよいよ車が発車するときに、何か出発進行というようなことを自分で口ずさみながら出て行つておりましたね。戦争後ああいうことがなくなりましたね。
○中村証人 やつております。
○塚原委員 現在やつておりますか。
○中村証人 やつております。
○塚原委員 私は戦争の終つたあと、国鉄並びに一般民間の電車、すべてのものの士気が非常にたるんでおるということを聞きもし、また実際に自分でも見たことをはつきり言えると思うのですが、前にはあごひもをおろして――形だけで緊張したとは申しませんが、緊張した気持で大事な人命をあずかる操縦をしておつたと思うのですが、戦争後は何かくわえタバコで、しかもおそらく私の考えでは、人は乗せていけないという運転台に二、三の人を乗せて、話しながら運転するというような、きわめてふまじめであると思われるような状況も私は何回も見聞したのですが、あなた方が実際運転をやつておる場合、このようなたるんだ気持というものをわれわれにつかれて、何か心に考えることがございませんか。
○中村証人 自分としては戦前、戦後を通じて同じ気分でやつております。
○塚原委員 それはあなたのまじめさというものがうかがえてまことにけつこうですが、世間一般の批評並びにまた私個人の見たところでは、いわゆるたるんでおる空気が非常に見えた、こういうことでは事故も起きるのではないかという不安をおそらく相当の人が持つておつたと思います。信号はあなたに関係ないでしようが、たとえば信号手あたりの動作を見ても、われわれいなかの方に住んでおりますが、いなかの小さな駅でお客が一人か二人しかないような場合でも、あれを下すところにだれも見ていないのに、雨の日でも自分で指をさしながら、それを下してそれを自分で確認した、また駅長は汽車が出るまで直立不動の姿勢で、列車がホームからはずれろまでそれを見送つておるという、きわめてまじめな姿というものをわれわれはかつては見たのです。最近はそういう姿に接したことはありません。ですからわれわれは国鉄一般の人がたるんでおるということを言つてもさしつかえないと思う。しかもあなたの証言を聞いておりますと、気分において、またその他の点においても、あなたはまじめにやつておるということを聞いて私は安心いたしました。それだけのことをやりながらああいう事故が起きたということについて追究しようとは思いませんが、また追究することはあなたの心を痛めることでもありましよう。しかし先ほどの委員長の尋ねられた脱出作業、救出作業という点において、私にふに落ちない点が一つある。それは私らの見る点では、あなたが運転をしておるうしろのドアというものは、あなたは大きないすがあつたからなかなかあかなかつたと言いますが、それだけの事態が起きているのでしたら、そのいすをどつかへけ飛ばして、そのドアをあけるだけのお気持にならなかつたのですか。
○中村証人 自分としては先ほど言いました通りであります。直感的に中へ入れないと思つて自分のところの貫通ドアをあけて出たのであります。
コメント
コメントを投稿