スキップしてメイン コンテンツに移動

第16回国会 衆議院 運輸委員会 第11号 昭和28年7月8日 抜粋

本文は、衆議院の運輸委員会第11号、昭和28年7月8日の議事録から、昭和28年6月28日、門司駅構内が浸水して、関門トンネルが水没した件についての国会審問の議事部分を抜粋したものに、適宜解説を加えさせていただきました。 

非常に長文となるので、適当に読み飛ばしても良いかと思いますが、当時の様子の参考にしていただければと思います。

ここで記述として、「十一時二十分に通ります特急のかもめが辛うじて通過したと言つております。またしなかつたというようなことも報告されておるようでございます。」とありますが、特急かもめが鹿児島本線不通により、門司駅折返しの運用としたのですが、これは出発前に運転を抑止しており、情報の混乱がありますが、この列車はまさに、徳山発佐世保行き327列車が門司駅に到着した時刻頃になります。

 画像 Wikipedia

以下、議事録の抜粋になります。

○岡部委員 

御承知のように西日本の水害に対しまして、輸送が円滑に行くことが当初から非常に問題になつておりましたのですが、何にしましても緊急の場合に輸送が杜絶したり、または輸送が円滑に行かないということは問題でありまして、本州と九州の動脈でありますところの関門トンネルが浸水した。また路線が浸水のために遮断され、決壊しておるのでございますが、その点につきまして保線の要員の人たちや鉄道員の人たちは非常によくやられておる、この点私は感謝しておるのでございます。この復旧に非常に努力されている点は私どもは多とするのでございますが、この関門隧道に関しましては、原因はどこにあるのか。三千トンくらいわき水があるということは聞いておるのでございまして、それに対する施設はあつたが、上から入つて来る、また不時の場合に大きな漏水があつた場合の対策がなかつたのではないか、こういう点が考えられるのであります。

 例をあげて関門トンネルの場合だけを申しますると、私の聞きますところでは、二十八日の午前十一時に新聞記者の諸君が門司側トンネルの入口に行つたときには、非常にはげしかつた。また十一時二十分にポンプを揚げる要員の人たちが昇坑して来たが、このときはもうすでにひざのところまで来ていた。そうして排水が不可能であつた。また十一時二十分に通ります特急のかもめが辛うじて通過したと言つております。またしなかつたというようなことも報告されておるようでございます。しかし十一時二十分現在で、このような状態まで浸水していたということは事実であろうと思うのです。従つてこの浸水は先ほど申し上げますように、平常動いております。ポンプの排水量では、この浸水に対してこれを揚水することができなかつたということをもちまして、私は先ほど申し上げたようなことが言えるのではないかと思うのであります。また時間的に推定いたしまして、八時ころにはもうこれが判明していたということも言えるのではないかと思います。いわゆるこの浸水がはげしくなつて来る、何とか防禦方法を講じなければならぬということがわかつていたのではないか、こういうことが言えるのでございます。ところが私があそこで聞きますところでは、十一時二十分前の事態を全然無視していた。十一時半から十二時までに六十九ミリというようなかつてない豪雨が降つた。そのためにあの水を阻止することができなかつたといわれておりますが、実際は八時ごろわかつていた。それを十一時ごろの豪雨でやられたといわれますが、事実十一時には揚水がやれなくてポンプ方も上つて来ている。こういうことが八時ごろにはもうわかつているにもかかわらず、これに対する対策を講じていなかつたということは、大きな問題ではないかと思うのです。その点につきまして国鉄総裁並びにまた詳しく御事情をお知りのお方にお尋ねしたいと思います。

○長崎説明員 

岡部議員は現地においでになりましてよく御承知と思いますので、私から申し上げまするよりも、ちようど昨日九州から施設局長がもどつて参りまして、詳しく承知しておると思いますから、施設局長から御説明いたさせます。

以下は、 江藤 智 施設局長の説明になります。
説明によりますと、浸水は事前に予測できたものではなく、山津波により国道付近を流れていた水が一気に押し寄せたとしています。
当然、ポンプによる排水の力の想定以上を超えた水が流れ込んでポンプ室にも浸水したため、ポンプも機能が喪失したと説明しています。
実際、11時30分頃から一気に押し寄せた数分後には中央部のポンプ室が排水を停止し、11:45分頃にはポンプが機能を完全に停止したとされています。

当時トンネル内に門司方面行きの普通列車がトンネル内に停車しており、救援機関車を出すか否かを検討していたそうですが既にトンネル内にも水が流れ込んでいることから、その救出は困難な状況であったようです。

最終的には機関士の機転で入り口付近でのパンタグラフを降ろして惰行で通過することとしています。

 

○江藤説明員 

私、九州の大水害を聞きますと同時に、現地に参りまして、関門隧道の排水並びに鹿児島本線その他の線路復旧について、現地で激励あるいは指導いたしまして、昨晩帰つて参つた次第であります。
 ただいまの御質問にお答えいたしたいと思うのでありますが、このたびの関門隧道の浸水は、まつたく予期しないような山津波が非常な短時間の間に押し寄せて参りまして、またその当時非常な豪雨で、線路に並行しておる国道を流れておつた水も、それと一緒に非常に短時間の間に隧道に押し寄せて参りましたが、その瞬間の水量は関門隧道に設備してありましたポンプの能力を越えましたために、遂にこれが浸水して機能を喪失したということが結論のように私は考えております。と申しますことは、いかに早く水が参つたかということは、十一時四分に門司に着きます三二七列車という列車があるのでございますが、もちろんそのときには非常な豪雨でございまして、写真で見ますと、坑内ももうレールすれすれくらいまでは水浸しになつております。

 従つて非常な豪雨であつて、そこを汽車を上げることが危険であるかどうかということを心配いたしまして、公安官が一時隧道の中でその列車をとめておるのでございます。そして門鉄の局長に、これをとめておるが、どうしようかということで、指示を受けに参つたのであります。局長は、とにかく非常な豪雨であるし、やはり浸水を心配いたしまして、何はともあれ三二七列車を動かせということで、豪雨の中を、しかも入口になりますと滝のような水であつたと私は推量するのでありますが、そのためにパンタグラフと電車線との間に非常なスパークを起しまして、パンタグラフをあげておけないので、入口からパンタグラフを下げて、豪雨の中を惰行運転で辛うじて上つて参つたのであります。

ところがそれから十二分遅れて門司駅を出発する特急かもめは、もうこの調子では出すのがあぶないというので、様子を見ておるその間に、どつと水が押し寄せて参つたというようなかつこうでございます。従いまして一時間足らずの間に大体七、八万そのときの水量は技術的にはつきりはわかりませんが、少くとも八万程度の水が一時間足らずの間に流れ込んで来て、少くともポンプの機能を喪失させるようなかつこうに押し寄せて参つたということは、はつきり言い得ると思うのであります。


 それでは関門隧道のポンプの能力はどの程度であつたかと申しますと、三十五馬力のポンプが全部で十台すわつておるのであります。縦坑の下に三台ずつで六台と、中央のポンプ室に二台ずつでたしか四台すわつております。平素の湧水量は大体千七百トン程度であります。この千七百トン程度をくみ出す能力は、ポンプ一台を連続運転いたしますと大体くみ出せるのでございます。実際はポンプの保守の問題、あるいは修繕の問題等のために、これを交互に運転いたしておりますから、大体三台か四台は動かしておりますけれども、しかしこういう非常時のときには、これを短時間であれば、全部動かすといたしますと、平素の湧水量の十倍程度のものは排水可能なのであります。しかしこれは一日の湧水量でございまして、一時間の湧水量にいたしますと、やはり千トンを欠ける能力なのでございます。従つて非常な短時間の間に、山津波に伴つてそこを流れておつた激流が方向を変じまして、同時にあの坑内に流れ込んだという場合には、これはただいま設備しておるポンプの能力でははけ切らないという結論になります。
 それではなぜそういうような山津波に対応するようなポンプ、あるいはその周囲に囲いのようなものをつくつておかなかつたかだろうかということが、今といたしましては一応の疑問となると思うのでありますけれども、御承知のようにすべてこういう構造物を設計いたしますときは、過去におけるいろいろな記録をもとにいたしまして、この付近の最大雨量であるとか、あるいはどういう災害が過去に起つたであろうかということを十分調べまして、それにその構造物の重要性に応じて安全率を考えて、いろいろ設計をするわけでございます。しかし現地に行つていろいろ聞いてみましても、また私たちがいろいろ当時の話を聞いてみましても、あのように一瞬にして門司の裏山のすべて沢という沢がひつかかれたようなかつこうに、しかもこれがほとんど同時に起つておりますが、こういうような山津波がやつて参りまして、しかもそれが関門隧道のところに直角に押し寄せるというようなことは、実は記録もございませんし、当時考えなかつたことでございます。ただ当時考えておりましたのは、一時間に八十ミリあるいは百ミリというような豪雨があの付近全般に降りまして、そのために坑内がずつと一様に水浸しになるような状態というようなことは考えまして、大体ずつと一尺程度の囲いをして、入口のところはいよいよのときには列車をとめて土俵で水を防ぐ、こういう程度のことは十分考えておつたのでございます。しかも写真でもごらんになるような状態で、やはりこの日の朝、非常な豪雨のために坑内が水浸しになりましたときには、土俵を築いて一時防水をやるというような処置もはつきりやつておるのであります。従つてそういうような点におきましては、手落ちがないというふうに私は見て参つておるのであります。重ねて申し上げますが、ああいうような山津波がほとんど時を同じくして一時に落ちて参りまして、しかもそれが隧道の方に瞬間的に直角に曲つて押し寄せて参つたということは、実は考え及ばなかつたために、遂にポンプの能力を越えてポンプを水浸しにいたしたために、関門隧道全体がこのような事故を生じたというように私は考えております。

○岡部委員 

私、今の御説明で、技術的な面につきましてはおよそわかりましたが、実際にあそこに土嚢を築いたのは、ただ土嚢を築いた程度のもので、列車を通すために土嚢を完全に築けなかつたのではないかと思う。列車を運行する方と、あのトンネルを保護して行く人たちの間で、多少時間的なずれがあつたために、完全なあの防水ができなかつたということは言えるのではないかと思う。私は少くとも八時過ぎには、あの土嚢はつき始められたことと思いますが、横の防禦壁が一尺くらいあつたようですが、その一尺の防禦壁の下の方は、もう十時過ぎには水が越えていたと聞いております。そのときまでは列車を通しております。そうしますと列車を通すために、土嚢をついたり防水をする工事を怠つていたのではないかということが、考えられるが、この点お調べになつたかどうか、お聞きしたい。

○江藤説明員 

今申しました山津波が参りますまで、構内が浸水をして、隧道の中に構内の水が流れ込む直前におきましては、土嚢によつて、もちろん列車運転をとめるという決心をいたしまして、応急の土嚢を築いて水をとめておることは確かでございます。これはただいまここに持つております写真に出ております。それから間もなく今度は、山側の方から両壁を越えまして、滝のように水が流れ込んで来ておる。それから現地で聞きましたら、ポンプの要員は刻々と水が増して参りまして、もうポンプが水浸しになつて来る。そこで門司側の方におりましたポンプ・マンは、保線区長に指示を仰いで来ておりました。いよいよ水浸しになつて来てあぶないからどうしようか、そこでそれでは引揚げよう。それから下関側の方は、門司の保線区長の配下でございますが、電話が通じないので、下関の工事事務所長の元配下におつたものでありますから、その事務所長に電話をいたしまして、やはり同様なことを言つておりますので、下関の工事事務所長は、豆トンネルに至るゲートがございますが、それを開いて上つて来いということで、これもそういう処置をとつて上つて来ておるというようなわけで、列車が通つておるときにもう滝のように水が入つて来ておるとは考えられないのでございます。

○岡部委員 

お話でおよそわかりました。私の尋ねておりますのは、ポンプ方が上つて来たのは十一時半前、豪雨の前でございます。もうその前に水が入つていたのです。それから中の軌道と軌道の間の排水溝は、十時過ぎにはもうあふれて、レールの上に水が上つていたと言つております。その間、上の方の防水工事が完全に行われていない。その間おそらく一時間くらい防水するひまがあつたのではないか。私はトンネルの重要性を考えますときは、あらゆるものを犠牲にしてもトンネルを守るということが必要じやないかと思う。私は何もこれを責めてどうこう言うのではありませんか、事実こういう事態が発生するということにつきまして、今後は何とか予防措置を講じていただきたいということが目的です。そのために申しておるのです。実際にああだつた、こうだつたと言えば水かけ論になりましようから、これ以上追究するつもりはありません。しかし少くともやればできたのではないかという点が非常にあるのです。それと今後に対する方策をどういうふうにお考えになつておるか。それから現在関門トンネルを閉鎖しておるために、輸送状態はどうなつておるか。現在関門における滞貨状態はどうなつておるか。それからいつごろまでに完全に開通することができるのだという見通し等について承りたいと思います。

○長崎説明員 

今回関門トンネルの浸水を見たということは、きわめて遺憾でございますが、ただいま申し上げましたように、いろいろな悪条件が重なつておりまして、こういう結果になつたのであります。しかしながらこういうことをこのまま放置するつもりはございません。これに対していかなる方法で防雨装置をつくるかということについて十分に研究をして、できるだけ早い機会にこれを解決して参りたいと思います。何分にもあそこは電化区間でございますから、ゲートをつくるにいたしましても、何をつくるにいたしましても、相当仕事がむずかしいのではないかと私しろうとながら考えるのであります。しかしそれも全能力をあげて研究し、また外部のいろいろな識者あるいは学者、そういう人にも相談をしまして、できるだけ早い時期に完全な装置をして参りたいと存じます。
 それから輸送の状況でございますが、お客さんにつきましてはそう不便をかけていないと思います。ただ乗りかえという問題がございますが、乗りかえの御不便という以外には、手荷物を三個託送ができるのが一個しかできないという程度のことでございまして、そう大した迷惑をかけておらないと思います。貨物につきましては、あそこで積みかえをいたさなければなりませんので、積みかえに不適当なものにつきましては、やむを得ず制限をいたしております。それから私どもの方で持つております船舶を二そう動かし、そのほか汽船あるいはトラック、漁船、機帆船というようなものを雇いまして、全力をあげてできる限りのことをいたしております。石炭はただいまのところ九州炭は平時の三分の一くらいしか出貨いたしておりません。幸いにして苅田港が無事でありましたから、苅田港から積み出されるものが非常に多いようであります。出貨の情勢から申しますと、九州方面からこちらへ来るものについては大した問題はないと思います。こつちから参りますものについては、ただいま申し上げましたように、多少の制限をいたしておりますが、これまた出貨が鈍つておりますので、まあどうにかやつて行けるのではないか、大体今のところでは十五日には少くとも単線の開通をするということで、懸命の努力を払つております。この単線か開通いたしますと、貨物列車は通常二十五本通つておるのが二十本通れます。二十本通れば今の出貨情勢から見ますと、そう大したことではない。ただ今後復旧、復興が進むにつれまして、復興資材の運搬をやらなければならぬのでありますが、そのころまでには複線の開通ということになりますから、そう大した混乱を起すようなことはないというふうに考え、万全の対策を講じております。

○岡部委員 

今総裁の話ですと、多少制限はしておるがというお話ですが、私の聞くところでは、少くとも千二、三百両くらいは貨物列車がとまつておるということでありますが、そういう事実をお聞きではございませんか。

○長崎説明員 

当初こつちの方に二千両ほどとまつておりましたが、六日現在で九州行はこれが千両に減りました。そのうち積みかえの可能なものが六百六十八両に減つておりますから、これは三分の一くらいになつたのであります。

○岡部委員 

もう一つ簡単なことですから伺いたいのですが、昔は渡航船がございまして、貨車を積んで送つておつたようですが、あのレールがとりはずされておることは、今度貨車を直送するに際して非常に問題になつておる。あれは自動車に積みかえて送らなければならぬようになつておるようですが、あれは民間会社に何か払い下げられてあるというようなことを聞いております。実際こういう緊急の場合に、貨車のまま輸送できたら非常にいいのではないかという説が強いようでございますが、復旧に急いでおる工場なり会社なんか、本州から送るのに非常に日にちがかかる、間に合わない、手持ち資材もない、原料もないといつたような部面をよくお考えいただきたい。その点につきまして……。

○江藤説明員 

関門隧道開通以前に行つておりました貨車渡船を残しておいて、緊急のときに間に合わしたらいいのではないかという御趣旨のようでございますが、実は関門隧道が開通いたしましたあとの計画で、こういうつぶれるということは実は考えなかつたものでございますから、門司側は関釜の岸壁を延長するために、一部埋立てをいたしました。これは戦争のため中止して使われない状態にあります。小森江の方も非常に荒廃しておりましたから、これに金をかけたりするももつたいのうございますので、そこのけたをほかに移して利用いたしました。しかも平時は全然使わない汽船をただ国鉄が持つておつたのでは、維持修理に金がかかるばかりでございます。そこで民間の会社で、あそこの自動車航送をやりたいというので、その方に払い下げまして、それが唐戸と向うの門司の方とやつておるわけでございます。これが今度はたまたま非常に働いたというわけでございます。しかも何分にも三ぞうの相当老朽した船でございまして、これをいつ来るかわからない非常時をあてにしてずつと持つておることは??船一そう持つておりましても、乗員その他相当維持費がかかるのでございまして、非常に不経済でございます。また先ほど総裁が言われましたように、十分技術的検討も加えまして、こういうような場合でも再び今度のような災害が起らないような方法を講ずることによつて、関門隧道の輸送確保を期したい、こういうふうに考えておるわけであります。

○岡部委員 

これは大臣にお願いでございますが、監督官庁の立場として、こういう災害が起つても未然に防げるのではないか、こういう大水が出ても防ぐ方法はあると私は考えるのです。そうしますと、ぜひとも今後こういう災害が来ないように、また九州と本土をつないでいる大動脈を遮断されることのないように、ひとつ適当な方策を考えていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

○石井国務大臣 

ただいま岡部君から、こういう不祥事か二度と起らないように、設備その他万全を期せというお話がありましたが、これは私この間現地を拝見いたしまして、特に深く感ずるわけでございます。ああいうものができない前は、できないままでいろいろな方法を講じておりましたが、できましたために、非常に大きな利益を得て、輸送関係が今日まで非常に助かつておりましたものが、一ぺんとまりますと、ことにその打撃が前に倍して大きいのであります。今説明申し上げましたように、前の設備はみなとつてある。船を出そうとしても、両岸の荷役がどうにもうまく行かない。実は私は行く前までは、だんだん山陽線の方がうまく通ずるようになれば、ありとあらゆる船を出してどんどん運んでしまおうというつもりで行きましたところが、荷役の関係がどうにもうまく行かぬというような関係で、まことに残念でございますが、その中でもできるだけのことをやつてくれということお願いして参りました。幸いにいたしまして十五日が、いま一日でも半日でも早くでき上ることを期待いたしておるのでありますが、あそこに働いている人たちは、まことに真剣に、ほんとうに昼夜をわかたず働いているのを見まして、私はものか言えないくらい感激をいたしたのであります。今度各地を見まして、どこに参りましても、国鉄の従業員諸君が懸命な努力をしてくれて、そのために自分の考えておつたよりも早く通じて、われわれは汽笛の音を聞いてほつと安心したということを聞かされました。ほんとうにその通りだろうと思つて喜んでおります。この関門トンネルの復旧が最後に残つている問題でありまして、国鉄当局の努力によつて、一日も早く回復することをこいねがうのでありますが、将来が一番大切なんで、私も現地において、今のなぜトネル内に水が入つたかという問題等は、これは世界的の報告の材料になるべきものだと思う。何がゆえに入つたか、どうやつてこれを出したかというような報告は、しつかりしたものをこしらえなければならぬから、そういう記録等をしつかりつくつてもらいたいということと同時に、現実的に一番大事な問題は、今後少くともこれ以上の水が来た場合にはどうするかという対策を、はつきり施設面なりその他においても立てておいていただくことが一番大事なことである。トンネルの中に入つておりました一列車が、非常な危険状態であつた中を無事に脱け出して、あと入つて来た特急は入れなかつたので、一人も死傷者を出さなかつたのがせめてもの幸いであります。一列車が中に沈んだままになつたならばたいへんなことだと思う。そういうことなくして済みましたが、今後はそこまで水が行かずに済み得るように、またそれに対する訓練等をぜひやつていただきたいと私からも願つておりますし、またそういう意味で督励もいたしたいと思つております。今の岡部君の御希望に対するお答えで、この間私が九州へ行きまして現場を見たことの御報告にもなるわけでありますが、こまかい問題については、もし皆さん方お聞きくださいますれば、国鉄部長と私と一緒に参りましたので、細田部長から御報告申し上げさせます。

○岡部委員 

今はその大体を聞くだけでございまして、小さい問題につきましては、報告書をつくつていただきたいと思います。 


#JR九州 #九州総局 #門司局 #関門連絡船 #関森連絡船 #廃止 #国鉄 #JR #交通 #船 #連絡船 #赤字 #門司港 #昭和レトロ #昭和 #歴史 #講座 #学術 #昭和史 #戦後史 #鉄道 #交通 #トリビア #社会 #学習 #水害事故 #西日本水害 #EF10 #浸水 #集中豪雨 #危険 #冠水 

 

にほんブログ村 歴史ブログ 現代史 戦後(日本史)へ
にほんブログ村
にほんブログ村 鉄道ブログ 国鉄へ
にほんブログ村

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、
コメントにて お待ちしております。
国鉄があった時代 JNR-era

********************************************************

コメント

このブログの人気の投稿

北陸本線、北陸トンネル列車火災事故に関する特別監査について 一回目

北陸トンネル事故 北陸トンネル内で車両火災が発生し、食堂車の車内から発火、この時点ではその原因が特定されて居らず、石炭レンジの火の不始末説や、煙草の消火不完全等が原因ではないかと言われていました。 この事故では、トンネルに入って間なしであったこと(当時の管理局の規程でもトンネル内は極力避けて停止となっていたが、北陸トンネルを走行し続けた場合6分程度かかるため、この間に更に火災が燃え広がる恐れがあるとして、乗務員が規程に従い停車した訳で、監査報告書でもこの措置には誤りはないとしています。 しかし、その後停電発生更には、トンネル内の照明が運転の支障になるとして消されていたことも避難誘導を行うのに不利に働いたと言われています。 監査報告書では、国鉄にさらなる安全投資の実施なら浴びに設備の近代化を図るとともに、労使の難しい関係はあるものの、「労使による事故防止委員会等の場を活用するなど、相互の意思疎通を十分にはかり、安全施策に関する建設的成果を得るよう労使とも努力することを期待してやまない。」として、労使双方の安全輸送に対する意識を高めることを期待しています。 なお、報告書自体は非常に長いので2回に分けてアップさせていただきます。 5特別監査報告 北陸本線北陸トンネル列車火災事故 (写〉 監委事第73号 昭和48年1月16日 運輸大臣 新谷寅三郎 殿 日本国有鉄道監査委員会委員長 金子佐一郎 北陸本線北陸トンネル列車火災事故に関する 特別監査報告書について 昭和47年11月8日付鉄保第81号により御命令がありました北陸本線北陸トンネル列車火災事故に関する特別監査については、その監査結果を別冊のとおり取りまとめましたので御報告します。 別冊 北陸本線北陸トンネル列車火災事故に関する特別監査報告書 昭和47年11月6日、北陸本線敦賀・今庄間北陸トンネル内において多数の死傷者を生ずる列車火災事故が発生しました。これに関して、同月8S,運輸大臣から、事故の原因および事故発生後の措置をはじめ、国鉄の保安管理体制のあり方について特別監査を行ない、その結果を報告するよう御命令がありました。 監査委員会は、即日、監査を開始し、国鉄本社役職員ならびに金沢および新潟鉄道管理局の関係職員から説明および意見を聴取するとともに、現地調査を3固にわたって行ない、国鉄の実情を詳細に検討いたしました。

東海道本線鶴見・横浜間における運転事故 報告書 全文(後編)

東海道本線鶴見事故の事故報告書後編となります。 前編は こちら をクリックしてください 鶴見事故は起こるべくして起こったと言うよりも予測不可能な事故であったと言えるわけですが、競合脱線という言葉がこの時初めて提起されたわけですが。 結局、最終的には複合的な要素があったとは言え、どれが確実な原因と言うことは特定できず、最初の脱線を引き起こしたワラ1(走行試験を省略)していたことに対する非難はあったものの、最終的にワラ1そのものに問題があるとは言えず、車輪踏面の改善などが行われ、昭和59(1984)年の貨物輸送のシステムチェンジが行われるまでは、二軸貨車の中核として活躍することとなりました。 ワラ1形貨車 画像 Wikipedia Ⅲ 事故発生の背後的問題 1 類似事故の究明不足 先に述べたように、 今回の事故の原因はいまだ最終的には究明されていないが、 過去においても類似事故が相当数見受けられる。 国鉄の脱線事故は、昭和27年以降は年々減少してきたが、 なお最近5箇年間の列車脱線事故のうち、その原因が線路と車両とに関係があると思われるものが69件あり、このうち、主体原因が不明確で線路関係と車両関係のそれぞれの条件が競合して悪作用した結果であるということでその原因を処理したものは9件を数えている。 このように、 主体原因が不明確のまま競合事故として処理されたものがいまだあることは、事故の原因の究明が部分的なものにとどまり、総合的あるいは動的は握に欠けるところがあつたことによるものといわざるを得ず、このようなことが今回の事故原因のは握を困難にしているものと思われる。 なお、事故の原因を究明し、 これが対策を発見するためには、 多数の事故を統計的手法により分析整理することが効果的であると思われるので、 今後実効的な解析の推進に努力する必要がある。 2 線路と車両の総合的管理の不足 国鉄では輸送の安全を確保するため、 運転、 施設、 電気、 車両等それぞれの分野において、 専門的に深い研究を行なっており、 高度の技術水準にあるが、これらを総合した研究特に線路と車両との動的関係においての総合的究明には不十分なものが見受けられる。 線路においては、部分的には車両の動的影響の測定も行ない、 また最近、高速度軌道試験車により車両運転状態における軌道の変位測定が可能とな

三河島 駅列車衝突事故 特別監査報告書 全文

資料として、三河島事故に対する特別監査報告書の内容全文をここにアップします。 国鉄監査報告書昭和36年版 p277~P288から引用しています。今回の三河島事故では、最初の衝突後、十分列車防護をする時間が有ったにも関わらず、当事者(貨物列車乗務員、及び下り電車乗務員)が適切な防護措置を取らなかったこと、(本来であれば、支障した時点で前後の列車に対し、発煙筒・信号短絡等の措置を取ることが義務づけられている。)さらに、乗客がドアコックを開放して線路に降り立ったこと等の複合的な要因が重なり、支障した下り電車が対向の電車と接触大破して、上り電車乗務員が死亡乗客の多くも犠牲になった事故で、運転士・機関士の列車防護措置に対する怠慢が指摘されたほか、組織として支社が十分機能せずに管理局にしわ寄せが来ていること。更に管理局も現場への管理が形式的文書的な指導になりがちで、現場が十分に実務指導等を行える状況になっていないことなども指摘されており、東京鉄道管理局の三分割に繋がる、組織の改編などにも言及されています。   常磐線三河島 駅列車衝突事故特別監査報告書提出について (写)      監委事第 20 号    昭和 37 年 6 月 14 日 運 輸 大 臣   斎 藤 昇 殿 日本国有鉄道監査委員会委員長 石 田 礼 助  常磐線三河島駅列車衝突事故特別 監査報告書提 出 に つ い て (報告) 鉄保第123号の御指示に基づい て、常磐線三河島駅列車衝突事故に関し、調査検討した結果を別冊のと おりとりまとめましたので御報告いたします。 常磐線三河島駅列車衝突事故特別監査報告書 昭和37年5 月4日付で、常磐線三河島駅列車衝突事故 に関し、運輸大臣より事故の原因を究明するとともに、特に国鉄の管理体制のあり方について、 特別監査を行なうよう御指示がありましたので、 監査委員会において、昭和37年5月7日以降17 回にわたり委員会を開催し、審議いたしました。   事故の状況は、後に述べるとおりでありますが、本委員会は直接の原因のみならず、事故防止の観点から、広く間接的な諸原因について究明する事が重要であると考え、国鉄補本社役員、局長、関東支社長、東京鉄道管理局長及び現場長等について、状況、意見を聴取するとともに、本件に関し、国鉄の実情を詳細に調査検討いたしました。   さらに、