本文は、衆議院の運輸委員会第11号、昭和28年7月8日の議事録から、昭和28年6月28日、門司駅構内が浸水して、関門トンネルが水没した件についての国会審問の議事部分を抜粋したものに、適宜解説を加えさせていただきました。
非常に長文となるので、適当に読み飛ばしても良いかと思いますが、当時の様子の参考にしていただければと思います。
ここで記述として、「十一時二十分に通ります特急のかもめが辛うじて通過したと言つております。またしなかつたというようなことも報告されておるようでございます。」とありますが、特急かもめが鹿児島本線不通により、門司駅折返しの運用としたのですが、これは出発前に運転を抑止しており、情報の混乱がありますが、この列車はまさに、徳山発佐世保行き327列車が門司駅に到着した時刻頃になります。
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以下、議事録の抜粋になります。
○岡部委員
御承知のように西日本の水害に対しまして、輸送が円滑に行くことが当初から非常に問題になつておりましたのですが、何にしましても緊急の場合に輸送が杜絶したり、または輸送が円滑に行かないということは問題でありまして、本州と九州の動脈でありますところの関門トンネルが浸水した。また路線が浸水のために遮断され、決壊しておるのでございますが、その点につきまして保線の要員の人たちや鉄道員の人たちは非常によくやられておる、この点私は感謝しておるのでございます。この復旧に非常に努力されている点は私どもは多とするのでございますが、この関門隧道に関しましては、原因はどこにあるのか。三千トンくらいわき水があるということは聞いておるのでございまして、それに対する施設はあつたが、上から入つて来る、また不時の場合に大きな漏水があつた場合の対策がなかつたのではないか、こういう点が考えられるのであります。
例をあげて関門トンネルの場合だけを申しますると、私の聞きますところでは、二十八日の午前十一時に新聞記者の諸君が門司側トンネルの入口に行つたときには、非常にはげしかつた。また十一時二十分にポンプを揚げる要員の人たちが昇坑して来たが、このときはもうすでにひざのところまで来ていた。そうして排水が不可能であつた。また十一時二十分に通ります特急のかもめが辛うじて通過したと言つております。またしなかつたというようなことも報告されておるようでございます。しかし十一時二十分現在で、このような状態まで浸水していたということは事実であろうと思うのです。従つてこの浸水は先ほど申し上げますように、平常動いております。ポンプの排水量では、この浸水に対してこれを揚水することができなかつたということをもちまして、私は先ほど申し上げたようなことが言えるのではないかと思うのであります。また時間的に推定いたしまして、八時ころにはもうこれが判明していたということも言えるのではないかと思います。いわゆるこの浸水がはげしくなつて来る、何とか防禦方法を講じなければならぬということがわかつていたのではないか、こういうことが言えるのでございます。ところが私があそこで聞きますところでは、十一時二十分前の事態を全然無視していた。十一時半から十二時までに六十九ミリというようなかつてない豪雨が降つた。そのためにあの水を阻止することができなかつたといわれておりますが、実際は八時ごろわかつていた。それを十一時ごろの豪雨でやられたといわれますが、事実十一時には揚水がやれなくてポンプ方も上つて来ている。こういうことが八時ごろにはもうわかつているにもかかわらず、これに対する対策を講じていなかつたということは、大きな問題ではないかと思うのです。その点につきまして国鉄総裁並びにまた詳しく御事情をお知りのお方にお尋ねしたいと思います。
○長崎説明員
岡部議員は現地においでになりましてよく御承知と思いますので、私から申し上げまするよりも、ちようど昨日九州から施設局長がもどつて参りまして、詳しく承知しておると思いますから、施設局長から御説明いたさせます。
以下は、 江藤 智 施設局長の説明になります。
説明によりますと、浸水は事前に予測できたものではなく、山津波により国道付近を流れていた水が一気に押し寄せたとしています。
当然、ポンプによる排水の力の想定以上を超えた水が流れ込んでポンプ室にも浸水したため、ポンプも機能が喪失したと説明しています。
実際、11時30分頃から一気に押し寄せた数分後には中央部のポンプ室が排水を停止し、11:45分頃にはポンプが機能を完全に停止したとされています。
当時トンネル内に門司方面行きの普通列車がトンネル内に停車しており、救援機関車を出すか否かを検討していたそうですが既にトンネル内にも水が流れ込んでいることから、その救出は困難な状況であったようです。
最終的には機関士の機転で入り口付近でのパンタグラフを降ろして惰行で通過することとしています。
○江藤説明員
私、九州の大水害を聞きますと同時に、現地に参りまして、関門隧道の排水並びに鹿児島本線その他の線路復旧について、現地で激励あるいは指導いたしまして、昨晩帰つて参つた次第であります。
ただいまの御質問にお答えいたしたいと思うのでありますが、このたびの関門隧道の浸水は、まつたく予期しないような山津波が非常な短時間の間に押し寄せて参りまして、またその当時非常な豪雨で、線路に並行しておる国道を流れておつた水も、それと一緒に非常に短時間の間に隧道に押し寄せて参りましたが、その瞬間の水量は関門隧道に設備してありましたポンプの能力を越えましたために、遂にこれが浸水して機能を喪失したということが結論のように私は考えております。と申しますことは、いかに早く水が参つたかということは、十一時四分に門司に着きます三二七列車という列車があるのでございますが、もちろんそのときには非常な豪雨でございまして、写真で見ますと、坑内ももうレールすれすれくらいまでは水浸しになつております。
従つて非常な豪雨であつて、そこを汽車を上げることが危険であるかどうかということを心配いたしまして、公安官が一時隧道の中でその列車をとめておるのでございます。そして門鉄の局長に、これをとめておるが、どうしようかということで、指示を受けに参つたのであります。局長は、とにかく非常な豪雨であるし、やはり浸水を心配いたしまして、何はともあれ三二七列車を動かせということで、豪雨の中を、しかも入口になりますと滝のような水であつたと私は推量するのでありますが、そのためにパンタグラフと電車線との間に非常なスパークを起しまして、パンタグラフをあげておけないので、入口からパンタグラフを下げて、豪雨の中を惰行運転で辛うじて上つて参つたのであります。
ところがそれから十二分遅れて門司駅を出発する特急かもめは、もうこの調子では出すのがあぶないというので、様子を見ておるその間に、どつと水が押し寄せて参つたというようなかつこうでございます。従いまして一時間足らずの間に大体七、八万そのときの水量は技術的にはつきりはわかりませんが、少くとも八万程度の水が一時間足らずの間に流れ込んで来て、少くともポンプの機能を喪失させるようなかつこうに押し寄せて参つたということは、はつきり言い得ると思うのであります。
それでは関門隧道のポンプの能力はどの程度であつたかと申しますと、三十五馬力のポンプが全部で十台すわつておるのであります。縦坑の下に三台ずつで六台と、中央のポンプ室に二台ずつでたしか四台すわつております。平素の湧水量は大体千七百トン程度であります。この千七百トン程度をくみ出す能力は、ポンプ一台を連続運転いたしますと大体くみ出せるのでございます。実際はポンプの保守の問題、あるいは修繕の問題等のために、これを交互に運転いたしておりますから、大体三台か四台は動かしておりますけれども、しかしこういう非常時のときには、これを短時間であれば、全部動かすといたしますと、平素の湧水量の十倍程度のものは排水可能なのであります。しかしこれは一日の湧水量でございまして、一時間の湧水量にいたしますと、やはり千トンを欠ける能力なのでございます。従つて非常な短時間の間に、山津波に伴つてそこを流れておつた激流が方向を変じまして、同時にあの坑内に流れ込んだという場合には、これはただいま設備しておるポンプの能力でははけ切らないという結論になります。
それではなぜそういうような山津波に対応するようなポンプ、あるいはその周囲に囲いのようなものをつくつておかなかつたかだろうかということが、今といたしましては一応の疑問となると思うのでありますけれども、御承知のようにすべてこういう構造物を設計いたしますときは、過去におけるいろいろな記録をもとにいたしまして、この付近の最大雨量であるとか、あるいはどういう災害が過去に起つたであろうかということを十分調べまして、それにその構造物の重要性に応じて安全率を考えて、いろいろ設計をするわけでございます。しかし現地に行つていろいろ聞いてみましても、また私たちがいろいろ当時の話を聞いてみましても、あのように一瞬にして門司の裏山のすべて沢という沢がひつかかれたようなかつこうに、しかもこれがほとんど同時に起つておりますが、こういうような山津波がやつて参りまして、しかもそれが関門隧道のところに直角に押し寄せるというようなことは、実は記録もございませんし、当時考えなかつたことでございます。ただ当時考えておりましたのは、一時間に八十ミリあるいは百ミリというような豪雨があの付近全般に降りまして、そのために坑内がずつと一様に水浸しになるような状態というようなことは考えまして、大体ずつと一尺程度の囲いをして、入口のところはいよいよのときには列車をとめて土俵で水を防ぐ、こういう程度のことは十分考えておつたのでございます。しかも写真でもごらんになるような状態で、やはりこの日の朝、非常な豪雨のために坑内が水浸しになりましたときには、土俵を築いて一時防水をやるというような処置もはつきりやつておるのであります。従つてそういうような点におきましては、手落ちがないというふうに私は見て参つておるのであります。重ねて申し上げますが、ああいうような山津波がほとんど時を同じくして一時に落ちて参りまして、しかもそれが隧道の方に瞬間的に直角に曲つて押し寄せて参つたということは、実は考え及ばなかつたために、遂にポンプの能力を越えてポンプを水浸しにいたしたために、関門隧道全体がこのような事故を生じたというように私は考えております。
○岡部委員
私、今の御説明で、技術的な面につきましてはおよそわかりましたが、実際にあそこに土嚢を築いたのは、ただ土嚢を築いた程度のもので、列車を通すために土嚢を完全に築けなかつたのではないかと思う。列車を運行する方と、あのトンネルを保護して行く人たちの間で、多少時間的なずれがあつたために、完全なあの防水ができなかつたということは言えるのではないかと思う。私は少くとも八時過ぎには、あの土嚢はつき始められたことと思いますが、横の防禦壁が一尺くらいあつたようですが、その一尺の防禦壁の下の方は、もう十時過ぎには水が越えていたと聞いております。そのときまでは列車を通しております。そうしますと列車を通すために、土嚢をついたり防水をする工事を怠つていたのではないかということが、考えられるが、この点お調べになつたかどうか、お聞きしたい。
○江藤説明員
今申しました山津波が参りますまで、構内が浸水をして、隧道の中に構内の水が流れ込む直前におきましては、土嚢によつて、もちろん列車運転をとめるという決心をいたしまして、応急の土嚢を築いて水をとめておることは確かでございます。これはただいまここに持つております写真に出ております。それから間もなく今度は、山側の方から両壁を越えまして、滝のように水が流れ込んで来ておる。それから現地で聞きましたら、ポンプの要員は刻々と水が増して参りまして、もうポンプが水浸しになつて来る。そこで門司側の方におりましたポンプ・マンは、保線区長に指示を仰いで来ておりました。いよいよ水浸しになつて来てあぶないからどうしようか、そこでそれでは引揚げよう。それから下関側の方は、門司の保線区長の配下でございますが、電話が通じないので、下関の工事事務所長の元配下におつたものでありますから、その事務所長に電話をいたしまして、やはり同様なことを言つておりますので、下関の工事事務所長は、豆トンネルに至るゲートがございますが、それを開いて上つて来いということで、これもそういう処置をとつて上つて来ておるというようなわけで、列車が通つておるときにもう滝のように水が入つて来ておるとは考えられないのでございます。
○岡部委員
お話でおよそわかりました。私の尋ねておりますのは、ポンプ方が上つて来たのは十一時半前、豪雨の前でございます。もうその前に水が入つていたのです。それから中の軌道と軌道の間の排水溝は、十時過ぎにはもうあふれて、レールの上に水が上つていたと言つております。その間、上の方の防水工事が完全に行われていない。その間おそらく一時間くらい防水するひまがあつたのではないか。私はトンネルの重要性を考えますときは、あらゆるものを犠牲にしてもトンネルを守るということが必要じやないかと思う。私は何もこれを責めてどうこう言うのではありませんか、事実こういう事態が発生するということにつきまして、今後は何とか予防措置を講じていただきたいということが目的です。そのために申しておるのです。実際にああだつた、こうだつたと言えば水かけ論になりましようから、これ以上追究するつもりはありません。しかし少くともやればできたのではないかという点が非常にあるのです。それと今後に対する方策をどういうふうにお考えになつておるか。それから現在関門トンネルを閉鎖しておるために、輸送状態はどうなつておるか。現在関門における滞貨状態はどうなつておるか。それからいつごろまでに完全に開通することができるのだという見通し等について承りたいと思います。
○長崎説明員
今回関門トンネルの浸水を見たということは、きわめて遺憾でございますが、ただいま申し上げましたように、いろいろな悪条件が重なつておりまして、こういう結果になつたのであります。しかしながらこういうことをこのまま放置するつもりはございません。これに対していかなる方法で防雨装置をつくるかということについて十分に研究をして、できるだけ早い機会にこれを解決して参りたいと思います。何分にもあそこは電化区間でございますから、ゲートをつくるにいたしましても、何をつくるにいたしましても、相当仕事がむずかしいのではないかと私しろうとながら考えるのであります。しかしそれも全能力をあげて研究し、また外部のいろいろな識者あるいは学者、そういう人にも相談をしまして、できるだけ早い時期に完全な装置をして参りたいと存じます。
それから輸送の状況でございますが、お客さんにつきましてはそう不便をかけていないと思います。ただ乗りかえという問題がございますが、乗りかえの御不便という以外には、手荷物を三個託送ができるのが一個しかできないという程度のことでございまして、そう大した迷惑をかけておらないと思います。貨物につきましては、あそこで積みかえをいたさなければなりませんので、積みかえに不適当なものにつきましては、やむを得ず制限をいたしております。それから私どもの方で持つております船舶を二そう動かし、そのほか汽船あるいはトラック、漁船、機帆船というようなものを雇いまして、全力をあげてできる限りのことをいたしております。石炭はただいまのところ九州炭は平時の三分の一くらいしか出貨いたしておりません。幸いにして苅田港が無事でありましたから、苅田港から積み出されるものが非常に多いようであります。出貨の情勢から申しますと、九州方面からこちらへ来るものについては大した問題はないと思います。こつちから参りますものについては、ただいま申し上げましたように、多少の制限をいたしておりますが、これまた出貨が鈍つておりますので、まあどうにかやつて行けるのではないか、大体今のところでは十五日には少くとも単線の開通をするということで、懸命の努力を払つております。この単線か開通いたしますと、貨物列車は通常二十五本通つておるのが二十本通れます。二十本通れば今の出貨情勢から見ますと、そう大したことではない。ただ今後復旧、復興が進むにつれまして、復興資材の運搬をやらなければならぬのでありますが、そのころまでには複線の開通ということになりますから、そう大した混乱を起すようなことはないというふうに考え、万全の対策を講じております。
○岡部委員
今総裁の話ですと、多少制限はしておるがというお話ですが、私の聞くところでは、少くとも千二、三百両くらいは貨物列車がとまつておるということでありますが、そういう事実をお聞きではございませんか。
○長崎説明員
当初こつちの方に二千両ほどとまつておりましたが、六日現在で九州行はこれが千両に減りました。そのうち積みかえの可能なものが六百六十八両に減つておりますから、これは三分の一くらいになつたのであります。
○岡部委員
もう一つ簡単なことですから伺いたいのですが、昔は渡航船がございまして、貨車を積んで送つておつたようですが、あのレールがとりはずされておることは、今度貨車を直送するに際して非常に問題になつておる。あれは自動車に積みかえて送らなければならぬようになつておるようですが、あれは民間会社に何か払い下げられてあるというようなことを聞いております。実際こういう緊急の場合に、貨車のまま輸送できたら非常にいいのではないかという説が強いようでございますが、復旧に急いでおる工場なり会社なんか、本州から送るのに非常に日にちがかかる、間に合わない、手持ち資材もない、原料もないといつたような部面をよくお考えいただきたい。その点につきまして……。
○江藤説明員
関門隧道開通以前に行つておりました貨車渡船を残しておいて、緊急のときに間に合わしたらいいのではないかという御趣旨のようでございますが、実は関門隧道が開通いたしましたあとの計画で、こういうつぶれるということは実は考えなかつたものでございますから、門司側は関釜の岸壁を延長するために、一部埋立てをいたしました。これは戦争のため中止して使われない状態にあります。小森江の方も非常に荒廃しておりましたから、これに金をかけたりするももつたいのうございますので、そこのけたをほかに移して利用いたしました。しかも平時は全然使わない汽船をただ国鉄が持つておつたのでは、維持修理に金がかかるばかりでございます。そこで民間の会社で、あそこの自動車航送をやりたいというので、その方に払い下げまして、それが唐戸と向うの門司の方とやつておるわけでございます。これが今度はたまたま非常に働いたというわけでございます。しかも何分にも三ぞうの相当老朽した船でございまして、これをいつ来るかわからない非常時をあてにしてずつと持つておることは??船一そう持つておりましても、乗員その他相当維持費がかかるのでございまして、非常に不経済でございます。また先ほど総裁が言われましたように、十分技術的検討も加えまして、こういうような場合でも再び今度のような災害が起らないような方法を講ずることによつて、関門隧道の輸送確保を期したい、こういうふうに考えておるわけであります。
○岡部委員
これは大臣にお願いでございますが、監督官庁の立場として、こういう災害が起つても未然に防げるのではないか、こういう大水が出ても防ぐ方法はあると私は考えるのです。そうしますと、ぜひとも今後こういう災害が来ないように、また九州と本土をつないでいる大動脈を遮断されることのないように、ひとつ適当な方策を考えていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
○石井国務大臣
ただいま岡部君から、こういう不祥事か二度と起らないように、設備その他万全を期せというお話がありましたが、これは私この間現地を拝見いたしまして、特に深く感ずるわけでございます。ああいうものができない前は、できないままでいろいろな方法を講じておりましたが、できましたために、非常に大きな利益を得て、輸送関係が今日まで非常に助かつておりましたものが、一ぺんとまりますと、ことにその打撃が前に倍して大きいのであります。今説明申し上げましたように、前の設備はみなとつてある。船を出そうとしても、両岸の荷役がどうにもうまく行かない。実は私は行く前までは、だんだん山陽線の方がうまく通ずるようになれば、ありとあらゆる船を出してどんどん運んでしまおうというつもりで行きましたところが、荷役の関係がどうにもうまく行かぬというような関係で、まことに残念でございますが、その中でもできるだけのことをやつてくれということお願いして参りました。幸いにいたしまして十五日が、いま一日でも半日でも早くでき上ることを期待いたしておるのでありますが、あそこに働いている人たちは、まことに真剣に、ほんとうに昼夜をわかたず働いているのを見まして、私はものか言えないくらい感激をいたしたのであります。今度各地を見まして、どこに参りましても、国鉄の従業員諸君が懸命な努力をしてくれて、そのために自分の考えておつたよりも早く通じて、われわれは汽笛の音を聞いてほつと安心したということを聞かされました。ほんとうにその通りだろうと思つて喜んでおります。この関門トンネルの復旧が最後に残つている問題でありまして、国鉄当局の努力によつて、一日も早く回復することをこいねがうのでありますが、将来が一番大切なんで、私も現地において、今のなぜトネル内に水が入つたかという問題等は、これは世界的の報告の材料になるべきものだと思う。何がゆえに入つたか、どうやつてこれを出したかというような報告は、しつかりしたものをこしらえなければならぬから、そういう記録等をしつかりつくつてもらいたいということと同時に、現実的に一番大事な問題は、今後少くともこれ以上の水が来た場合にはどうするかという対策を、はつきり施設面なりその他においても立てておいていただくことが一番大事なことである。トンネルの中に入つておりました一列車が、非常な危険状態であつた中を無事に脱け出して、あと入つて来た特急は入れなかつたので、一人も死傷者を出さなかつたのがせめてもの幸いであります。一列車が中に沈んだままになつたならばたいへんなことだと思う。そういうことなくして済みましたが、今後はそこまで水が行かずに済み得るように、またそれに対する訓練等をぜひやつていただきたいと私からも願つておりますし、またそういう意味で督励もいたしたいと思つております。今の岡部君の御希望に対するお答えで、この間私が九州へ行きまして現場を見たことの御報告にもなるわけでありますが、こまかい問題については、もし皆さん方お聞きくださいますれば、国鉄部長と私と一緒に参りましたので、細田部長から御報告申し上げさせます。
○岡部委員
今はその大体を聞くだけでございまして、小さい問題につきましては、報告書をつくつていただきたいと思います。
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