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鉄道公安職員の職務に関する法律

 この法律が制定されたことにより、公安職員は国鉄職員という位置づけにありながら、鉄道敷地内における治安維持の目的が強くなっていくようになり、組合からは当局の犬と疎まれるなど、国鉄職員と言いながら色々な意味で異色の存在であったことは間違いないと言えそうです。

実際、社会党からは何度も、公安官制度を廃止すべきであるとして法案の提出がなされています。 

参考 blog  国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

国鉄誕生と公安制度について 第一話

吹田事件 画像 wikipedia

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 法律第二百四十一号(昭二五・八・一〇) 

  ◎鉄道公安職員の職務に関する法律

(職務) 第一条 日本国有鉄道の施設内において公安維持の職務を掌る日本国有鉄道の役員又は職員で、法務総裁と運輸大臣が協議をして定めるところに従い、日本国有鉄道総裁の推せんに基き運輸大臣が指名した者は、これを鉄道公安職員と称し、日本国有鉄道の列車、停車場その他輸送に直接必要な鉄道施設内における犯罪並びに日本国有鉄道の運輸業務に対する犯罪について捜査することができる。

 (捜査の場所的制限) 第二条 前条の捜査は、日本国有鉄道の列車、停車場その他輸送に直接必要な鉄道施設以外の場所においては、行うことができない。

 (刑事訴訟法の準用) 第三条 鉄道公安職員の捜査に関しては、この法律に別段の定めがある場合を除く外、刑事訴訟法(昭和二十三年法律第百三十一号)に規定する司法警察職員の捜査に関する規定を準用する。但し、現行犯人又は被疑者を逮捕した場合には、これを検察官又は警察職員に引致しなければならない。

 (所管区域) 第四条 鉄道公安職員は、捜査に関し、その所属する事務所の所管区域外で職務を行うことはできない。但し、列車警乗その他政令の定めるところにより特別の必要がある場合は、この限りでない。
 (協力) 第五条 鉄道公安職員と警察職員とは、その職務に関し、互に協力しなければならない。
 (監督) 第六条  鉄道公安職員の捜査に関する職務は、運輸大臣が監督する。
 (武器の携帯) 第七条  鉄道公安職員は、その職務を行うため、小型武器を携帯することができる。
 (武器の使用) 第八条 鉄道公安職員は、その職務を行うに当り、特に自己又は他人の生命又は身体の保護のため、やむを得ない必要があると認める相当の理由がある場合においては、その事態に応じ合理的に必要であると判断される限度において、武器を使用することができる。

武器の使用に関しては、参議院で様々な意見が有ったようですが、最終的に公安官の武器使用が認められました。

  

 
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