北陸トンネル事故
北陸トンネル内で車両火災が発生し、食堂車の車内から発火、この時点ではその原因が特定されて居らず、石炭レンジの火の不始末説や、煙草の消火不完全等が原因ではないかと言われていました。
この事故では、トンネルに入って間なしであったこと(当時の管理局の規程でもトンネル内は極力避けて停止となっていたが、北陸トンネルを走行し続けた場合6分程度かかるため、この間に更に火災が燃え広がる恐れがあるとして、乗務員が規程に従い停車した訳で、監査報告書でもこの措置には誤りはないとしています。
しかし、その後停電発生更には、トンネル内の照明が運転の支障になるとして消されていたことも避難誘導を行うのに不利に働いたと言われています。
監査報告書では、国鉄にさらなる安全投資の実施なら浴びに設備の近代化を図るとともに、労使の難しい関係はあるものの、「労使による事故防止委員会等の場を活用するなど、相互の意思疎通を十分にはかり、安全施策に関する建設的成果を得るよう労使とも努力することを期待してやまない。」として、労使双方の安全輸送に対する意識を高めることを期待しています。
なお、報告書自体は非常に長いので2回に分けてアップさせていただきます。
5特別監査報告
北陸本線北陸トンネル列車火災事故
(写〉
監委事第73号
昭和48年1月16日
運輸大臣
新谷寅三郎 殿
日本国有鉄道監査委員会委員長
金子佐一郎
北陸本線北陸トンネル列車火災事故に関する
特別監査報告書について
昭和47年11月8日付鉄保第81号により御命令がありました北陸本線北陸トンネル列車火災事故に関する特別監査については、その監査結果を別冊のとおり取りまとめましたので御報告します。
別冊
北陸本線北陸トンネル列車火災事故に関する特別監査報告書
昭和47年11月6日、北陸本線敦賀・今庄間北陸トンネル内において多数の死傷者を生ずる列車火災事故が発生しました。これに関して、同月8S,運輸大臣から、事故の原因および事故発生後の措置をはじめ、国鉄の保安管理体制のあり方について特別監査を行ない、その結果を報告するよう御命令がありました。
監査委員会は、即日、監査を開始し、国鉄本社役職員ならびに金沢および新潟鉄道管理局の関係職員から説明および意見を聴取するとともに、現地調査を3固にわたって行ない、国鉄の実情を詳細に検討いたしました。
さらに部外関係官庁、関係会社および部外有識者から意見をうかがうとともに、労働組合等の意見も広く参考にいたしました。
以上の監査にあたって、昭和47年11月9日以降昭和48年1月11日までに監査委員会を39回開催し審議いたしました。その結果、以下のとおり所見を申し述べます。
Ⅰ 事故の概況
(1)事故種別
列車火災(死亡者30人、負傷者714人)
(2)発生日時
昭和47年11月6日1時13分〈列車の停止時刻〉
天候晴
(3)発生場所
北陸本線敦賀・今庄間北陸トンネル内〈米原起点55キロ260メートル)
(4)列車
急客第501列車「きたぐに」〈大阪発、青森行〉
機関車EF7062号
けん引客車数15両〈うち食堂車・荷物車・郵便車各1両〉
(5)関係職員
金沢運転所:電気機関士(指導〉、電気機関士、電気機関助士
新潟車掌区:専務車掌〈客扱〉、乗務指導掛、乗務掛3入
金沢車掌区:専務車掌〈荷扱〉、乗務指導掛、乗務掛
新潟第二公安室:鉄道公安班長、鉄道公安員
(6)焼損車両
食堂車オシ172018号〈前から11両目に連結)
(7)概況
ア 北陸本線下り急行第501列車は、敦賀駅を2分遅れて1時4分30秒に発車し、時速約60キロの力行運転で北陸トンネル内を進行中、1時11分ごろ、13両目客車(グリーン車〉にいた専務車掌〈客扱)(以下「客扱専務」という。)は、乗客から11両目食堂車に火災が発生している旨の通報を受けた。
イ 客扱専務は、同席の乗務指導掛Aとともに直ちに同車両に向かつて走行したところ、煙を認めたので引き返し、車掌弁により非常停止手配をとるとともに、乗務員用無線機で電気機関士〈以下「機関士」という。〉に火災の発生を通報した。一方、乗務指導掛Aは、消火器により消火に努めた。
ウ 機関士は、客扱専務の通報により非常停止手配をとり、1時13分、北陸トンネルの敦賀方入口から約5.3キロの地点に停止した。
エ 第501列車に乗務していた関係職員は、消火に努めたが、消火困難と認め、火災車両を切り離して脱出することとし、1時28分、今庄、敦賀両駅に携帯用電話機によって、事故発生の第一報を送り救援を依頼するとともに、11両目食堂車と12両目客車の聞を約60メートル切り離した。引き続き9両目と10両目客車問の切離し作業中に、1時52分、火災の影響により下り線の架線が停電となったため、前途の運転が不可能となった。
このため、乗客の避難誘導に努めたが、この時はすでに乗客の中には相当の混乱が生じていた。
オ 金沢鉄道管理局〈以下「鉄道管理局」を「局」という。)は、本局および現地にそれぞれ事故対策本部を設置し、県、市町村、警察署、消防署、自衛隊、病院等の応援を得て救援に当たった。しかしながら、救出作業は、トンネル内に充満した煙のため困難をきわめ、事故発生から10時間余を要する事態となり、死亡者30人(うち国鉄職員1人)、負傷者714人(消防署員、食堂従業員、国鉄職員を含む。)を生ずる重大事故となった。
カ 同列車の車両は、分割して敦賀、今庄両駅に収容し、復旧作業の後、警察による現場の実地検証を経て22時40分に下り線、同45分に上り線が開通した。
キ 同列車の乗客数は、約760人であった。
Ⅱ事故の原因
1 出火の原因
出火の箇所は、食堂車の喫煙室の腰掛附近と推定されているが、出火原因については、目下、警察等の関係機関において調査中であるので、その判断にまつこととした。
2事故が拡大した原因
(1)本食堂車は銅製車であり、壁、天井の一部に不燃材、難燃材が使用されていたが、断熱材等の高分子化学物質の一部のものから燃焼時に大量の煙およびガスが発生した。
(局長大トンネル内のため、多量の煙および一酸化炭素等の有毒ガスが、他の列車の進入進出に伴って、トンネル内を前後に移動しあるいはかくはんされたため、乗客の避難および救出作業を著しく阻害した。
(3)長大トンネル内における火災時の処置手順が必ずしも明確でなく、これに対する訓練も十分でなかった。
(4)火災の熱影響により架線が停電したため、前部車両の脱出が不可能となった。
(5)トンネル内照明は、一部の区間以外は消燈しており、これが乗客の避難等に支障をきたした。
(6)トンネル内外の連絡には、乗務員用無線機が使用できず携帯用電話機に限られ、情報連絡は困難をきわめた。
Ⅲ事故発生後の措置
1列車の停止手配と防護措置
13両目にいた客扱専務は、乗客から火災発生の通報を受け、直ちに状況確認のため12両目の客車まで走行したところ、11両目の食堂車からの煙を認めたので引き返し、車掌弁を引くとともに乗務員用無線機で機関士に停止手配をとるよう通報した。
この場合の乗務員の処置方については、本社の指導に基づき、新潟局および金沢局においてL列車を直ちに停止させる。ただし、その場合トンネル内は、なるべく避けることJと定めている。
今回の火災の発見は、トンネルにはいって間もない時点であり、そのままトンネルを脱出するには、時速ωキロの速度でも約8分間を要し、他の車両への延焼等のおそれを考慮すればトンネル内に停止させたことはやむを得ーなかったと認められる。
併発事故を防止するための列車防護については、列車の停止後、電気機関士(指導)(以下L指導機関士寸という。〉、電気機関助士(以下L機関助士寸という。〉、客扱専務が機関車に取り付けられている車両用信号炎管および携帯用信号炎管の点火、軌道短絡器の装着等定められたとおり適切な手配を行なった。これにより、木ノ芽信号場の場内信号機は停止現示となり、対向列車である上り急行第506M列車L立山3号1は、本列車の約2キロ前方に停車し、その後の救出活動に大きな役割を果たした。
2 消火作業
客扱専務、乗務指導掛A、乗務掛および食堂従業員などは、消火器を使用するとともに、食堂車内の容器類で水をかけるなどして消火作業を行なった。
しかしながら、喫煙室には煙が充満して火元の確認ができなかったばかりでなく、延焼防止のため後部の引戸を締め切り、食堂側のみから濃煙を侵し作業を行なわざるを得なかったので、約10分間懸命の努力がなされたが、消し止めるまでに至らなかった。ここで関係乗務員は消火を断念し、車両を切り離すこととした。
3車両の切離し作業
前述の火災発生時における乗務員の処置方によると、消火器等での消火が不可能と判断したときは、他の車両への延焼を防止し、被害を最少限にとどめるため、火災車両の前後を切り離すよう定められており、今回の場合も、これに従って、まず、11・12両目聞の切離し作業にかかった。この作業は、不慣れなうえ手元が暗く、しかも上りこう配という悪条件が重なり困難をきわめたが、機関士等関係職員が協力し、蒸気暖房ホース、ホロ、電らん、自動連結器等を切ることができた。前頭の運転室にいる指導機関士は、機関士と乗務員用無線機で連絡をとりつつ、1時34分ごろ前部車両を約5メートル引き上げた。
次いで10・11両目聞の切離しにかかったが、煙が激しくなったため作業を継続することが不可能となったばかりでなく、この程度の車間距離では、延焼の危険があると判断したので、機関士は前部11両をさらに約60メートル引き上げた。その後、機関士、機関助士は、9・10両目聞の自動連結器のみを開放し、他のホロ、ホース等は引きちぎり前部9両で今庄方へ脱出しようとしたが、1時52分、架線が停電しトンネルからの脱出は、不可能となった。
なお、この間、指導機関士は、携帯用電話機で敦賀駅に対し、1時45分ごろ、第2報として、火災車両の後部を切り離したことおよびその前部を切り離して今庄方へ出発する旨を連絡していた。
4架線の停電
架線が停電したのは、トンネル内の漏水を両側に導くため、天井にはわせた塩化ビニール製のといが、火災の熱により垂下し、架隷に接触したため地気し、事故電流が流れ、敦賀変電所のしゃ断器が動作したことによるものと推定されている。同変電所の記録計によれば、しゃ断器は自動的に再投入されたが、再び事故電流が流れたため再度動作した。このため、敦賀・湯尾間の下り線の架線が停電状態となった。
架娘が停電した場合の電力指令の措置として、交流(2万ボルト〉電化区聞においては、局の規程によりL再しゃ断後手動扱いにより投入する。ただし、それが危険であると判断したときは、列車指令および関係支区長と十分に打ち合わせてから手動投入するJ旨定められている。当時、電力指令は、すでに列車火災事故の通報を受けており、架糠が停電したのはこれによるものであると判断し、しかも現地の状況は不明であったので、手動投入を行なわなかった。このような場合、き電を開始するならば、現場の状況しだいによっては、感電等二次災害が発生する可能性もあり、き電開始に慎重な態度をとったのは当然のことである。
5乗客に対する通報と避難誘導乗客に対する状況の通報は、口頭によって、出火箇所に近い9・10・12・13両目客車は専務車掌〈荷扱〉および鉄道公安班長により、消火作業と並行して行なわれた。また、8両目から1両目にかけては車両の切離し後に乗務掛Bによってなされたが、この時点ではすでに乗客に相当な混乱がみられ、これがどの程度浸透したかは疑問である。
車内放送については行なわれなかった。これは当時の緊急な状況下で、列車防護〈他列車に対する緊急停止手配〉、消火作業等に忙殺され、また、前部車両に放送設備が取り付けられていないため、車両の切離し後は放送不能になったものと思われる。しかしながら、このような場合、列車の切離し以前に、火災発生の事実と脱出準備等について放送し、以後に予想される混乱の防止をはかることが望ましかった。
11両目食堂車と12両目客車を切り離した際、客扱専務から前部車両への乗車方を指示された乗務掛B、Cのうち、Bは乗車したが、Cおよび鉄道公示班長は、引離しのため再引上げされた前部車両が煙で見えなくなり乗車できなかった。その時点で前部車両は、そのまま今庄方へ走行したものと思っていた。このため、結果的には乗客数の少ない後部車両に客扱専務等9人が残り、乗客数の多い前部車両には機関士等4人〈うち1人死亡〉という不均衡な配置となった。
後部客車2両の乗客約100人については、上記の職員9人により、郵便車を通って荷物車から降車させ、第1回約20人、第2回約10人と敦賀方へ順次誘導したが、残りの乗客は、誘導中、煙が激しくなり危険になったため、車内へ引き返した。これらの乗客は救援A列車(敦賀駅着4時26分〉によって救出された。
前部客車10両(うち寝台車5両)の乗客約660人については、架線の停電により脱出不能となった1時52分以後は、機関士、機関助士および乗務掛Bにより、濃煙とガスの中を前述の列車防護措置によって停止していた対向の第506M列車へ誘導が行なわれた。
第506M列車の乗務員は、225人を収容したところで、一応避難してくる乗客も見当らなくなり、かっ、濃煙とガスにより同列車の乗客にも危険を感じたので、2時33分、乗務員用無線機による他列車への緊急停止信号を発しつつ退行を開始した。
第印6M列車の退行後、機関士および機関助士は、再び事故現場へもどり、失神を繰り返しながらトンネル内に残っている乗客の救援B列車およびD列車への誘導救出に努めたが、自らも後続の救援列車により救出された。
〈注〉文中の各救出人員数については、極力、正確を期したが、一部推定によるものが含まれている。
6トンネル内照明の点燈状況
事故発生当時トンネル内の照明は、一部の区間を除いて消燈していた。それらはその後敦賀方および今庄方の両トンネル入口からはいった保線関係職員等によって順次点燈され、3時ごろまでに全トンネル内照明が点控されたが、その問、乗客の避難に支障をきたした。
トンネyレ内照明は、本来、施設物の保守作業のため設置されたものであり、動力車乗務員の信号確認を妨げることなどの理由により、常時消燈することになっていたものであるが、このたびの事故のように非常事態に即応できるょう配意されていなかったことは遺櫨である。
今後、避難という見地から、トンネル内照明の見直しを行ない、その改善をはかる必要がある。
7救援作業
救援の要請は、1時28分に火災事故発生の第一報とともに今庄、敦賀両駅に対して行なわれた。
第一報を受けた両駅では、列車指令に通報し、列車指令は、直ちに機関車、電力等の各指令ならびに関係業務機関に通報するとともに、他の列車の抑止を行ない、機関車指令は、後部車両の乗客を救出するため、敦賀第一機関区に救援列車の出動準備を指令した。
金沢局では、本局に事故対策本部を設置するとともに、敦賀および今庄に現地対策本部を設置した。
また、両駅では、部内の業務機関をはじめ、市町村、警察署、消防署、病院等に救援の要請をした。
救援列車の運行は、附図〈省略〉のとおり、敦賀方は2時37分に発車した救援A列車以降6回〈うち保線用モーターカー2回〉、今庄方は4時10分に発車した救援B列車以降4回(うち保線用モーターカー2回〉である。また、乗客の救出状況は、附図(省略〉のとおりである。
敦賀方について救援手配の概況を述べると次のとおりである。
(1)救援A列車は、第501列車の後部車両の残りの乗客をすべて救出し、4時26分敦賀駅に帰着した。
(却4時40分ごろ、事故現場からかなり今庄寄りに乗客が残されている旨のトンネル内からの連絡もあり、状況確認のため、モーターカーを入坑させたが、濃煙のため引き返さざるを得なかった。
(3)このため、救援D列車を運転し、104人の乗客を救出し、引き続き救援F列車を運転して20人を救出した。
(4)また、客貨車、保線および電力区職員は、2時45分ごろ葉原および樫曲斜坑から相前後して入坑し、乗客10数人を救出した。
一方、今庄方の救援手配の概況は次のとおりである。
(1)局指令は、前述のとおり1時45分ごろ指導機関士から切離し後出発する旨の報告を受けていたので、1時52分、架線が停電した際、それまでの聞に前部車両は火災車両からかなり離れた所まで運転されたものと考えていた。
(却また、第回6M列車がすでにトンネル内におり、同列車により第501列車の乗客は救出できると判断したが、さらに後続の第9504M列車L立山53号1を救援列車として活用することとした。
(3)加えて、ディーゼ、ル機関車による救援を行なうこととし、2時30分に福井機関区に救援指令を出した。
(4)2時33分、第506M列車は、第501列車の乗客225人を救出して今庄駅に向け退行を開始した。
(5)3時に火災の熱のため上りトロリー線の使用が危険と判断されたので第9504M列車は、救援列車としての運転を見合わせることにした。
(6)前述(3)のデ、イーゼル機関車は、貨車11両を連結し、今庄駅発4時10分の救援B列車、同8時10分発の救援E列車として運転され、B列車は16(}人、E列車は2人の乗客を救出した。
8救護活動
敦賀駅および今庄駅から負傷者の救護方の要請を受けた市町村、警察署、消防署、病院、診療所等は、直ちに関係駅およびトンネル入口に出動して、救援列車で到着した負傷者および自力脱出者を武生市、鯖江市、敦賀市等の病院へ運び診察、治療を行なった。その際、負傷者の大部分は呼吸器系統に障害がみられたので、酸素吸入、抗生物質および、副腎皮質ホルモンの投与等が行なわれた。これら一連の救護手配は、地元関係者の献身的な協力を得て
行なわれた。
また、敦賀鉄道診療所の救護班は、救援D列車によって事故現場まで出向き、車内および線路上の負傷者の診療、救護に当たった。
事故発生当時、大がかりな捜索が行なわれたにもかかわらず、1週間後に1遺体が発見されたのは遺憾であった。
続く
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国鉄があった時代 JNR-era
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