1982(昭和57)年11月19日 鈴木善幸内閣の最後の閣議で、国鉄監理委設置法案の提出が決定されたのであるが、この法案に対して与野党の見解は以下のように異なっていました。
最近の言葉で言えば、リベラルもしくは左派と言われるグループである社会党(現在の社民党)や共産党は絶対反対を表明する反面、公明党・民社党(現在は解党・国民民主党がイメージ的に一番近いであろうか)は消極的な賛成、敢えて言えば賛成であり、現在は解党してしまったが、新自由クラブ・民主連合 (こちらも現在は解党、詳細は長くなるので末尾で解説)はより鮮明に分割・民営化を推し進めている。民主連合自身が社会党からの分派と考えると、同じマルクス主義を信望する政党を源流としても以外に思えます。
反対派
社会党 : 臨調答申尊重を盛りこんだ本法案は分割 ・ 民営化 が前提となっており絶対反対 。
また、監理委員会は屋上屋を重ねるだ けであり、長期債務等の問題は要は政府の決断にかかっ ているから不 要 である。
共産党 : 国鉄の解体を断行するところにねらいがあり、かつ臨調答申を最大限に尊重するという根本的な誤りがあり絶対反対。
消極的に賛成派
公明党 : 国鉄経営を破綻に導いた政府の責任は重大ではあるが、国民の大多数は臨調答申に
沿った国鉄改革を望んでおり法 案には賛成。
民社党 :国鉄の再建は国鉄自身の手によっても政府の手によってもど うにもならないことが
明らかな以上、別の機関を作ってそれにゆだねることに賛成。臨調答申を尊重すべきである 。
賛成派
新自由クラブ・民主連合:分割については 異論はあるものの 、 民営化はわが党の旧来からの主張であり賛成。
5 年以内と い わず早期に実施すべきである。
出典:国有鉄道 1983年7月号 「国鉄再建監理委員会設置法案」についてから引用
参考資料:【1982 年 9 月 24 日】行政改革大綱 今後における行政改革の具体化方策について
解説
新自由クラブ・民主連合とは、「新自由クラブ」と「社会民主連合」が連合した党派で、結成時期は僅かに新自由クラブの方が早いのですが、自民党から分派した形の新自由クラブはその独自性を発揮できないまま、最後は自民党に大半が戻る形となっています。
当時田中角栄は、新侍従クラブの結成には懐疑的で、いずれ戻ってくるであろうと言っていましたが、結果的にはそうなってしまいました。
その背景には中選挙区制によるところも大きく、現在の小選挙区制による少数政党乱立を避けるという視点から考えれば、再度中選挙区への編成なども視野に入れるべきではないかと思われます。
社会民主連合 1978年3月26日 結成 新自由クラブ 1976年6月25日
新自由クラブ・民主連合 1981年9月21日 結成
新自由クラブは、昭和58年12月26日で自民党と会派を組むこととなり、統一会派「自由民主党・新自由国民連合」を結成(これにより、社会民主連合との連携は解消)
社会民主連合は、その後1994年5月22日に「日本新党」・「さきがけ」に合流する形で解散
新自由クラブは、1986年8月15日、自民党に復帰する形で解散しています。
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