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昭和21年当時の国鉄を取り巻く労働運動に関する考え方 当時の投稿記事から

以下は、日本国有鉄道(当時は運輸省鉄道総局)職員向けに発行された「交通」昭和22年1月号から抜粋した記事であり、終戦直後の国鉄の労働運動を検証するための一次資料となり得るものです。


この記事の概要は、当時の二つの大きな組織
総同盟と産別双方の活動を阪田登(ネット上では著書等は見つけられず)問いウサインの元に書かれた記録です。

本来、「交通」はその後「国有鉄道」と引き継がれるように、どちらかと言えば、管理者クラス向けの雑誌であり、鉄道員全体向けの国鉄線とは一線を引く記事故に、個人的には当時の当局・幹部クラスが労働組合のあり方などについて模索するというか学習するためではないかとおもわれるのです。この後はこうした記事が減っていくので、その点は間違いないかと思います。

基本的には、旧字体を新字体に改め、明らかな誤字は修正したが、それ以外はそのままですので、「おもふ」と言ったような、現在の言い回しとは異なる記述も数多く見られるが、その辺は当時の原文を大事にしたいという思いからです。

鉄道史、とりわけ労働運動史研究のための参考としていただければ幸いです。 

  

総同盟と産別 労組常識

終戦以来、約一年半ばかりの間に日本の労働運動は急速に成長した。現在では労働組合の数は一万数千、組合員は四百万を越している。そして、ただ単に数がふえただけでなく労働者の意識水準も相当高いものになつている、もともと労働者は資本家階級と戦ふ時には完全にその利害は一致する。だから労働組合は全国的に統一されなければならないし、また統一できるものである。しかし現在では日本の労働組合は同じ方向に同じ歩調で進んでいるわけではない。つまり、労働戦線が統一されていないのである。だから労働者全部が百の力を持つていても、その百の力を一点に集めて決戦に立上ることが出来ない。日本の労働戦線は産別会議、労働総同盟、日本労組会議の三つの陣営に大きく分けられている。 その中で日本労働組合会議は大体産別会議と総同盟の中間の性質を持つているらしいが、新しく出来たばかりでまだ実際には何もしていないからここでは問題にしないとして、思想も組織も行動もととごとく対立している二大陣営=産別会議(組合員約百六十万)と労働総同盟(組合員約百五十万)=を比較してみる。


◇思想 …… 産別会議と総同盟の相違の中で一番根本的なものは、この思想の違ひである。
労働戦線の統一が叫ばれ、また実際にその機運が熟している様に思はれるにも拘らず、現実にその問題が今日まで解決出来ない直接のわけは、この思想の対立にあると思われる。
そしてこの思想の対立が組織の形体の違ひや、賞際の行動の違ひになつてゆくのである。
 産別会議も総同盟も共に八月に準備会の殻を脱いで新しく誕生したのだが、総同盟は日本の労働運動の母体である友愛会の流れを汲む旧総同盟系やその他合法的労働運動の労農、日労等が中心となつている。そしてその性質は一般に温健と言はれていて「労資協調」の思想で・もつて貫らぬかれている。これに対して産別会議は総同盟反対の旗の下に関東労組協議会をはじめとして関東電気、関東化学その他の戦闘的と呼ばれる性質の組合が結集されたものである。
 そして「階級闘争」の思想で貫らぬかれている。これを各々の綱領で比較すれば明瞭になる、総同盟は「健全強固なる自主的組織」を確立し「産業民主化の徹底を図り、もって新日本の建設」に当たるとしているが産別会議は「労働組合の基本的権利を守るために闘ふ」「封建的植民地的労働条件を一掃するために闘ふ」等々十一ヶ条は全部「闘ふ」といふ言葉で結んである。総同盟は協調主義,産別比開爭主義、総同盟は階級欄争を避けて話し合ひによつて問題を片づけようとしているが、産別ではそんな方法では益々激しくなつてゆく労資の対立は決して解決出来ない、労働者の權利を守るものは労働者自身の力であるとしている。
総同盟は資本主義を否定するのでなくて資本主義の改良を目標とする改良主義に向ひ産別会議は現在は一応資本主義は認めても闘争主義の原則はつらぬかれてるる。
 この二つの思想の対立は日本だけでなくて、世界中の労働者の間でも問題になつており、どちらの行き方が正しいかは論議の的である。そしてこの思想の対立から組織も行動も分かたれていく。
◇組織 …… の形式なんかはど今でもよさそうなものだが、そうはいかない。組合の力は粗織を通じて発揮される。だからよい組織を持っている組合は百の力を全部要点に集中出来るが、悪い組織を持っている組合は百の力を五十しか発揮出来ない。組織の形式は非常に大切である。
 産別会議の組織は普通には産別的組織と云はれるものである。つまり産別会議は名前の如く、一つ一つの産業別ごとの従業員を男女老幼職能なんかに關係なく全国にただ労働組合に入れる、そしてその全国に一つ一つの労働組合が集って会議するのである。例へば新開社には新聞記者もいるるし、文選エもいるし、印刷エ、タイビスト、給仕その他色々の仕事をする人がいる。それをもし新開記者は新聞記者だけ集めて組合を作り、文選工は文選工だけで組合を作り、タイビストはタイビストだけと云ふことになれば、一つの会社の中に沢山の組合が出来て、この沢山の組合の間に協定が出来なければ同じ会社の從業員が力を集中することが出来なくなる。そこで、それでは困ると云ふので、その新聞社に働いている人はどんな仕事をしていても皆同じ一つの組合に入る様な方法が考へられた。
そしてそれだけでなく、その上さらに別々の新聞社の組合を全部集めて一つの大きな新聞産業從業員の組合に作つた。これが新聞通信放送単一組合である。この様にして新聞だけでなく、電気事業も映画演劇も炭鉱従業員も学校の先生もその他色々の産業に各々一つづつの大きな組合を作つて、その一つづつ、の組合の又集めったものが産別会議である。この組織の方法は現在では組合の力が充分に発揮され易いので世界中の労働組合は大体この組織を使用している所が多い。現在の樣に資本家側がよく連絡を取り団結する様になってからは、この産別組織によるゼネストでなければ対抗出率ないのである。
 これに対して総同盟は産業別組織も採用しているが、ごれと平行してこの他に職業別及び地域的組織も相当重要視している。
8月の創立大会の時に産別組織は交通、煙草、纖維、鉱山の4つだけであるのに、地域別組合は34都道府縣に及んでいることを見ても、組合の組織が産別会議と相当違っていることが明瞭である。又総同盟は産別整理の具体的方針として大産業別整理をしている。例へば産別会議では電気工業、車両、機器と3つの別個の車輛、機器と3つの別個の組織に分けるのに対して、総同盟では金属として一本にまとめてしまう。地域別組織や職業別組織は組合の力を充分に発揮出来ないし、大産業別整理はその中に合まれる小さい産業部面別の組織を飛ばしているから組合の力が非常に脆い。総同盟が今まで全国的組織を動かして開爭を展開したことがないのは、その思想が「労資協調主義」であることが原因であるが、又組織の方面から考へても、この組織では全国的組織を動かす開爭は技術的にを困難である。
 産別会議も総同盟も組織の原則として産業別組合組織を認めており、文大体同じ時に誕生しているにも狗らず、陣容の整備と強化の点が極端な差があるのは結局「闘争主義」と「協調主義」との差が具体的に現れたのである。しかし最近のように労資の対立が激しくなつてくるにつれて、総同盟の内部から早く陣容を強化せよと自己批判が行はれ、さすがの協調主義の総同盟も現在陣容の整理をしている。
◇行動 …… 思想が対立しており、それに基いて組織も産ってい社ば、産別会議と総同盟の行勁が対立しているのは当り前である。産別の行動は闘争的であり、しかもその整理された陣容を利用して闘争が組織的である。一つの問題でも直ちに共同闘爭の方向に取上げる。これに対して総同盟の行職は安協的であり、組織が不完全であるから、闘争が組織的でなくバラバラに行はれる。共同闘争も困難である。
 この兩方の対立が一番よくあらはれたのは十月攻勢を撓つての行動であつた。産別会議は海員、国鉄のゼネストを支持すると共に、自ら十月攻勢を組織し、計画し、実施した。それに対して総同盟は海員、国鉄のゼネストには中立を守り、十月攻勢には反対した。
◇結果 …… 思想、組織、行動がこれほど違へば、その結果もまた違つてくる。
 総同盟は何もしなかつたのでその結果は総同盟傘下の労働組合は以前と少しも変つていない。もつとわかり易く言へば、第一にインフレが烈しくなつて色々の物の値段が段々高くなつて行くのに、月給は以前として少しも変らないか、又多少月給が增ふても物の値段の高さに較べたら問題にならない。第二に会社は組合員以外のものでも使つているし、労働者を雇入れるのも現在働いている人をクピにするのも、組合の承認がなくても会社の都合で勝手に出来る。
だから從業員は何時クビを切られても別文句が言へない。今のように政府が大量誠首は仕方がないと言つている時に、こんな状態でいるのは決して有難くない。これが労使協調主義の結果総同盟傘下の多くの組合の状態である。
 これに対して産別会議の組合は十月攻勢を行った。その結果として以前と大いに変つた。第一に組織された労働者の手酷しい反擎がクど切り政策の実施を中止させたことは、支配階級に齊きと不安を与えたのと同時に労働者階級に自信と希望を与へた。
第二に大量馘首による企業の合理化と言ふ政府の政策の実施を表面的には一応中止させた。つまり秋に開始を豫定されていたクビ切りをとにかく秋には実施させなかつた。第三に十月攻勢に參加した始んどの組合が賃金値上げによつて、高い物價にも或程度応じることが出来るようになつた。
第四に從業員を雇ふ時もクビにする時も組合の承認がなければ出来ないと言ふ協約を会社と結んだ。これによつて会社の都合で勝手にクビを切られることは無くなつた。これが産別会議の「闘争主義」の結果である。
 協調主義か、闘争主義か、事実は明瞭に決定してくれる。

最近、総同盟が「越冬攻勢」と呼げれる全国的闘争を計画しているらしい。もしこれがれが本当であれば、産別会議の十月攻勢が労働者階級に与えた自信と希望の証拠であり、この「越冬攻勢」を機会として、産別と総同盟とが同一方向に同一歩調で進められれば、日本民主化の為に喜ぶべきである。
(阪 田 登)


のぞみ


黒沢三郎


秋の風は きよく明るく
白い雲は絹布のやうにひろごる

国興すひとびと
よろこびをまた
大空にたかく呼び合はう

眉あげて
あの嶺に対ふものなら
花束ののぞみ
けふもただ
くれないのカンナに燃える

秋の風は 美しく明るく
ああ あたらしく国興すひとびとの
うたごえであつた

 

 
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