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 戦後の労働運動家で、社会党所属しており、社会党の分裂の際は左派社会党に所属した方です。労働運動が政党と同調する事への警鐘などを鳴らしており、終戦直後の資料を学ぶ上で非常に貴重な記事ではないかと思います。 

 二・一以後の労働組合運動

島上善五郎


二・一ゼネスト闘争はわが国労働組合運動に深刻な自己反省を求めている。これが正しくなされることによつて今後の労働組合の健全正常な発展に資せられるならばあの失敗も又貴重な経験といつてよい。
あの闘争に鑑みて今後考えなければならぬことの一つの労働組合の闘争と政党の闘争との関係の問題がある。
 今日の段階では労働階級の生活問題は多くの場合、政治との関連が深い。『政治は経済の集中的表現である』との言葉は今極めてはつきりとわれわれの日常生活の上に生き生きとした事実となつて現はれている。
従つて労働者の生活権確保の諸闘争は政治闘争に発展する必然性を持つている。けれども労働組合はあくまで労働組合であつて、政党でも政党に代行する組織でもないことを知らなければならぬ。労働者の経済要求を機械的に政治闘争に発展せしめたり、大衆の闘争力が高まつたからとて労働組合が直接政治闘争の母体、指導体となることは組合の本分を忘れた行過ぎである。
 二・一ゼネストは官公労働者の生活の極度の不安に端を発し、政府の無誠意と無能の故に次第に最悪の事態にまで発展したのであつたが、その本質はあくまで官公労働者の生活の改善向上の経済闘争であつた。この経済闘争をあのような政治闘争に発展せしめゼネストに導いた第一の責任はもとより政府に帰せらるべきものであるが、ゼネスト決行期日が近づくにつれて組合内に現はれた傾向の中には明らかに労働組合の運動の限界を超えたものがあつた。
『経済要求が全部容認されても吉田内閣が倒れないうちは断固としてぜネストを行う』との言葉が責任ある指導者の口から当然の事のように言はれたことは、それが大衆に対する一場のアヂ演説であるならば現も角極めて大事な交渉斡旋の段階で声明されたことは今後の組合運動のために批判揚棄されねばならぬ。労働組合はあの場合掲げた経済要求をより多く獲得することに重点がおかるべきであり、しかもそれは大衆の闘争力の最も高まつた時期にその力を背景に交渉を進めることが最も有利であつたことは言うまでもない。労働
組合の運動は労働者が完全に勝利するまでは妥協と闘争との連続である。
大衆の闘争力が最も高揚した時こそ交渉を軌道に乘せるヤマである。これをせずに一氣に政府打倒のゼネストに強行的に持つて行こうとした一部の傾向は、ゼネストそのものに対する考えが甘過ぎたばかりでなく、経済闘争と政治闘争との機械的な結合であり、労働組合の闘争と政党の闘争との混淆でもある。
 申すまでもなく政府打倒、政権獲得の闘争は政党が先頭に立つて指導すべきもので、労働組合の闘争は政党との間に相互関連性のあることは勿論であるが、両者の任務分野は明確に区別されなければならぬ。



そこで今後労働組合と政党との関係が問題となる。今日わが国において労働組合は政治に対して中立であり得ない。働く者の犠牲によつて資本主義を再建しようとする保守反動勢力と、大資本の犠牲によつて勤労者の為の民主日本を建設しようとする民主勢力の明白な対立の中にあつて労働組合がいづれに加担すべきかは言うまでもなく明白な事柄である。ただこの場合現在の社会党、共産党のいづれかに対して労働組合がは団体としていづれか
と言う問題がある。政党支持の自由とはよく言はれることであるが、発展途上のが若き労働組合にあつて団体として支持関係を結ぶかどうか一方的支持を決することによつて得る処よりもむしろ失う処が多いのではないかとの懸念からそうしたのであつて政党支持の自由は少くとも今なでは妥当であったと言い得る。けれども今日の日本民主革命の段階に組織労働者の負う任務の重大なるを考える時、政党支持の自由の名の下に組合が民主政党に対して第三者的批判的立場にあつて、指導的分子が政党加入に消極的であつたり、政治的立場を不明確にし、或ひは秘密にすることは当然のように考えることは間違ひである。そうすることは勢い組合の政党化傾向を生むことになり、又民主政党に対する組織労働者の発言力を弱めることになる。労働組合の指導分子、先進分子は進んで民主政党に加入し、自己の政党的立場を明確にして、労働組合の政党化偏向を妨ぎ政治闘争は政党の立場から堂々と指導すべきであろう。
 このことは叉近く行はるべき選挙闘争に際しても言はれる。二・一ゼネスト以後労働組合が選挙闘争に対して積極的方針をとるに至つたことはあの闘争が生んだ貴重な敎訓の一つであるが、この中にも或種の誤れる偏向がないとは言えない。二・一ゼネストによつて政府を倒し、政権を獲得来ると信じたことが不能となるやそれを機械的に裏返しにして選挙闘争に突入する嫌いはないか? 勿論今日わが国の民主革命達成に演ずる組織労働者の役割は極めて重い。
選挙闘争に労働組合の力が充分発揮されることが必要であり、その場合相当大きな成果を期待し得るであろう。けれどもそれは労働組合だけの力で行い得るのでなく、組織労働者が爾余の勤労大衆と政治の場面で結合することに成功して始めて達成し得ることである。組織労働者が政治の場面で一般大衆と結びつき、これをリードするには媒介体の組織、政党が必要である。若し政党のない労働組合だけの選挙を行うならば一般大衆の圧倒的支持を得ることがなかなか困難である。
故に労働組合の先進分子、指導分子は積極的に民主政党に加入し、党活動の筋金となり、エネルギーとなると共に選挙に際しても党の立場を明確にして戦うべきである。と同時に一般組合員の政治的教育訓練を徹底し、四百萬組織労働者が真に民主革命達成の国民的闘争の先頭部隊となることが必要であり、選挙の場合にその四百萬の力が倍加し、三倍加することが出来るならば、民主政権は自ら実現され得るのである。
 二・一ゼネスト禁止によつて労働組合の直接行動による革命方式の不可を知ると共に、あの禁止命令直後出されたマ司令部の総選挙逍遙の書簡は極めて示晙に富むものと知らなければならぬ。マ司令部民間情報部がこの選挙こそ明治維新以上の歴史的変革の意義を持つと声明された事実に徴しても明らかである。
 組織労働者の政治的成長は労働組合と政党の健全なる発達を促し、民主革命成功の重要な素因となるであろう。


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