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昭和23年、鉄道財産の再評価についてと言う記事につてアップさせていただきます。

AIによる概略

 「国鉄の財産は、単に国有財産として帳簿上の価格を維持するのではなく、インフレーションによる物価上昇を反映した時価で再評価し、鉄道事業を継続するための実質的な資本を確保すべきである」

というものです。

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 鉄道財産の再評価について

壺井宗一

(1)


一般に企業の財産というときは、企業が営利目的を追求する手段として企業内部に所有している有価物の総和として理解されるものであるから、国鉄財産とは国有鉄道事業が経済原則に従つて運営されるために所有すべきあらゆる財産をゆびさすものとされよう。即ち有形、無形の固定財産、流動財産及び作業財産である運転財産、並びに投資財産等の一切のものである。併しわれわれが国鉄の財産として理解しているものは、これを狹義に解して固定財産のみを意味するのであり、これの取扱いを規程的にとらえて「鉄道財産規程」(昭和ニ十ニ年四月達一七八号)と名付けた。もとよりこれは国有財産法上の国有財産の範囲を出るものではない。従つてわたくしが表題の下にいささか述べようとするのは、此の鉄道財産規程上の財産なる意味に理解していただきたい。即ち国鉄事業において比較的長期にわたつて使用される財産であつて、いわば耐久的な生産手段であり、土地、建物、工作物、車輛、船拍及び、未竣工施設が之に当る。又運輸大臣が国有財産法の対象として管理するに足るものとして具体的に指定したもの、即ち自動車、重要な機械及び器具、且つ鉱業権、特許権その他これに準ずる無形の権利並びに株式、出資金を含むいわゆる投資財産を此の規程の対象とするのであるとなし得よう。

(2)


一般に公益事業は授下資本額が単に巨大であるばかりでなく、それは多く認備費殊に土木、及び機械の設備費にあるために、まことに巨大な固定財陸を有しているとされる。この現象は交通事業において特に顯著であるが、いま国有鉄道において見ると昭和二十二年度総資本額二百五億七千万円に対して固定財産百七億二千万円という驚くべき数字を示し、これは全財産の約五割に当ることとなる。しかるに、此の重要であるべき固定財産会計が、国鉄経理の歴史の中で最も軽視されたのは何故であろうか。これに対して、わたしは国鉄財産が国有財産としての性格をもつと共に、反面企業財産としての性格をもつているということが忘れられたからであると答えたいのである。なるほど、国鉄事業は国家が経営する企業であるから、その有する財産は国有財産であることは勿論であろう。このことは国鉄の財産ふ国有財産に規程する一般法規によって秩序づけられていると言うことに外ならない。ここにわれわれの主張がある。国有財産法は一般行政官庁の有する各国有財産を維持管理するに必要な措置を目標とするものであるから、財産の所得、管囲及び処分、喪失、価格等に関してあまり法律的形式的であり、一般私企業のそれとは大いに異るということである。しかし国鉄のように、国家が権力関係に立たず、又純公益の立場に立たないで、収益を重視し、その意味では国家も又自ら下つて原則として一般の私企業と、同一の関係を形成することに思いを致せば、かかる単純なる法律的観念では到底問題は解決されず、これにはいわゆる企業財産としての性格を重視しなければならないのである。そうしてそのことは、「企業資本」の概念と結びつけて考えねばならぬと言うことなのである。と言うのは両者は常に同時関係に立つものとされて理解されるものであるからである。
 言うまでもなく、資本主義制度の下にあつては、企業の資本概念は、抽象的資本概念と具体的資本概念との二つが理解されることである。しかして会計上通常抽象的資本を狹義の資本と呼び、具体的資本を財産と名付けることが一般である。かくてわれわれは、土地、建物、機器、車両等の経済的財貨をそれ自体、資本となす単純なる資本概念を排斥すると共に、経済的財貨を離れてもとより資本は存在しないとするのであつて、財産と?本はどこまでも観念上明確に区別すべきであるとするのである。
 われわれは財産とは資本の具体的発現形態であるとなし、資本とは財産の帰属的形態における価値、言いかえれば企業内に使用されている財産が何人に帰属すべきであるかを示す概念が、資本にほかならないとなし得よう。そこで財産即ち資本であり、財産の増減は常に資本の増減を件うもので、両者は企業の如柯なる収益?態にあつても、常に平衡開係に立つものである。ここに財査=資本といふ方程式が成立するとされる。此の両者の平衡関係が企業の資本的構造の基本的関係であり、この関係を具体的に表示したものが、いわゆる貸借対照表と呼ばれる企業の財政表にほかならないのである。国鉄財産の再評価論は正にかかる資本概念に裏付けされた企業財産を理解するところに必然的に提起される問題であり、かかる企業財産を念頭に置かなければ再評価の不必要を認めざるを得ないであろう。しかるに従来の国鉄財産については、その企業財産であることを忘れて国有財産であることのみを重視したことであり、換言すれば国鉄財産の会計学的性質を考慮せずして、法律的概念規定のみに拘泥したにすぎないことであつた。企業財産として把握するときは、これを商的に観察するから常に流助的、進歩的に理解されるに対し、これを国有財産として把握するときは、不動産、特定物等を主たる対象として財産の存在のみを重視するから、保守的、伝統的傾向を帯びざるを得ない。しかし経済的生活は不断に流転し、企業は不断に拡大再生産を続ける。此の意味において国鉄は国有財産的性格の堅いカーテンを打破し、企業 財産としての性格を重視しなければなるまい。正に財産の再評価はその第一歩であり、その基礎的地盤の確立であるとなし得ようか。

(3)


 然らば企業財産の再評価は如何なる場合に認めらるべきであろうか。一般に固定財産の増加は如何なる意義を有しているものであろうか。此の増加の意義を広義にとれば財産の種類、並に増価の原因を問わず、凡て価値又は価格の増加することを意味することとなろう。併し今日かかる意義に使用する場合は極めて稀であって、物価の騰貴による財産の増価を意味することが普通である。即ち財産そのものとしては何等の変化はないのであるが、需要供給の変動、その他経済的原因によつて財産の交換価値を増加するか、或はインフレーションの結果、貨幣価値の下落に件う一般物慢の騰貴によつて、相対的に財産の価値が増加するかの場合である。ただインフレーションの場合は、それは一時的のものでなく、市場の客観的情勢が相当の物価騰貴を予想され企業の運営に支障を来たす恐れなしとしない場合に認めらるべきであろうか。そうしてその中で増価を実現せる増価と未だ実現せぬ増価とに二大別した場合、即ち財産と実際に売払つて得た金額と、その財産の帳簿価格との差額を意味するか、又は単に財産の時価がその帳簿価格を超える金額を指す場合を意味するかであるが、会計学上の増価は後者即ち未実現利益を言うとするのが普通であろう。しかりとすれば、ここに所有財産の再評価の問題が起きる。
 しかるに、言うまでもなく再評価については、学者の従来の態度は極めて保守的であり又消極的であつて、再評価による増買は全然無視すべきものであり、これを売却する前にその帳銀価格を修正するが如きは、断じて許さるべきでないと強く主張したことであつた。又現実の問題としても原則として原価が採られ、株式会社の如きは、商法の規程において固定財産に関する限り原価以上の評価は之を禁じていることである。しかしそれには相当の根拠がある。
  まず第一に、固定財産はその買入の支出がそのまま経費とならないで、長期にわたり次第に経費に転化してゆくという性質のものである。いわば経費の前払という性質を持ち、経費の前払である限り外界における経済事情の変化に依つて変化するものではないと論じる。第二には、一般に使用を目的とする固定財産は販売することが目的でなく、永久に使用してゆくことが目的であるから、如何にその市価が騰貴しても、これを固定財産として使用する間は、その所有者にとつての効用には何等の変化がなく再評価をするも又実益が存しないというのである。
  第三には、固定財産使用の中途において評価するということは、まことに至難の業であつて、苟も推定予測又は個人の主観的判断に属するようなことはその帳簿記録に不正確な分子を含む結果となり、ひいてはそのために財産の評価過大に陥りやすく、その弊害の及ぶ所遂に企業の危機を招来する恐れがあるとするのである。而も市価変動(増価はもとより減価を含む)の都度これを記帳して膨大な財産台帳の価格を訂正することはその煩に堪えず、実際問題として不可能なことに属すると強く主張する。
 かくて、一般に使用固定財産は時価の変動に支配されないで所得原価をもつて評価額とされていることであるが、いま一歩すすめて考察すれば財産の再評価は単なるその価格決定の問題に止らないで、減価償却費の大きさを通じて損益計算の結果に大なる関連を持つということ、そしてそのことは回収資本の内容に重要な関係を持つということに思を致さなければならない。
 思うに固定財産はいわゆる資本的支出であつてそれは経費の前払という性質をもつているかもしれないが、その支出が減価償却を通じて毎年の経費に課せられるのであるから、回収し維持されるものは当初の名目資本に外ならない。そこで企業が再生産を続けて行くために維持すべき資本は、その名目資本ではなくて資本の生産力であり、実質資本の維持でなければならないと考えるときは、固定財産を原価にて評価することは常にこの要求を滿足すべきものでないといえよう。既に述べたように財産は単に企業資本の具体的表現であり、企業資本が財産という形をとつているのにすぎないのであるから、財産の価格の変動は同時に投下資本の大きさの変化でなければならないであろう。しかるに獲得当時の原価で之を保持し、その範園の減価償却をなす限り、正に雑持管理さるべきものは名目資本以上のものを出でないのである。国鉄は公益事業であり、国民の運戦需要を充足するために輸送力を確保する必要があるとするならば、実質資本の維持を必ず目標としなければならないし、そのためには財産を新しく時価(再取得価格)によつて再評価しなければならないと強く主張されるゆえんであるのである。

 更に注目すべきことは、一入九三年米国のスミス事件においで大審院が鉄道会社の運賃決定は公正価値の原則によるべきであると宣言したこと、これである。このことは米国の公益企業において fair return onfair value 即ち「公正なる価値に対して公正なる報酬」を獲得しなければならぬことを以て主義とするということである。公正なる価値というのは公正なる企業財産価格にほかならないのであって、鉄道会社が大衆にサービスを提供するために必要とする一切の財産額を包含する。又公?企業は営利を目標とする一つの私企業である限りその投下資本に対して公正な収益を獲得せねばならないであろうし、若しこれが確保されなければ、公益企業に資本を誘導することは到底出来ないであろう。そして此の公正なる報酬は姿正なる報酬率によつて決定さるべきものであるとするのである。かくて公益企業を経営しその編続を計るためには、その経費は利用者である一般大衆より料金の形で回収されるのであつて、その料金中には公正なる報酬と経営費が当然含まれることとなる。即ち公正なる企業の財産価格が公正に評価され、公正なる報酬率によつて公正なる収益が算定される。これに其他の経営費を加えてここに公正なる報酬額が決定される。そしてこれが料金を通じて回収せられねばならないとされよう。このことはもとより国鉄においても言い得るところであつて、運賃決定の要素としては、物価水準並びに運送原価其他を綜合的に考慮されるべきであろうが、必要な資本の投資を誘導し得るような将来の運質の公正なる報酬額が、運賃を通じて回収されねばならない。その算定の基礎として国鉄財産の公正なる価格を再評価によつて、求むべきであると主張するのである。

(4)


ところで、次の問題は国鉄財産の再評価は如何なる見地に立つて実施せらるくきであろうかということである。原価主義であるか、時価主義であるかの議論は前に一言したことであつて、ここでは先ず財産価値が客観価値なるべきか、主観価値なるべきか、について論ずれば、いまわれわれが会計学上間題とするものは、価値の問題ではなくて常に価格の問題であることを考えねばならない。さうして価格は一般市場における評価によつて成立するものであつて、決して個人の客観的判断によつて決定するのではない。この意味において、われわれが論ずる財産価値は常に客観的なものとされるのである。といつても、われわれは財産価値が常に売却価値であつて、使用価値が不合理であるというのでは毛頭ない。企業が中止され、解散されるものであるときは、その財産を市場において資却し換価する観点ならそれは売却価値でなければならないのは当然であろうが、企業が経営を継続して行く限りは、その設備は継続的に使用されて徐々に貨幣に換えられるものであるから、それはもとより使用価値でなければならないとされるべきである。国鉄財産の客観価値といえば、例えば庁含用地、停車場、建物、軌道その他の設備を国鉄企業 から離しても、何人も買うような価値でなければならないであろう。しかし線路用地、軌道のようなものに対して、一般市場価値が果してあると言い得るであろうか。
それは鉄道経営という立場においてはじめて使用価値があるとされるのであつて、かかる立場においてのみ国鉄財産の全般にわ たつて再評価は認めらるべきであろう。われわれは客観的価値を採るといつても国鉄の場合は繊続的に経営さるべきものであるから売却価値を採らず、使用価値の立場で なければならないとするのである。
 ところで、更に一言したいことは、鉄道、会議財産調査專門委員会の建議を考慮して、国鉄は分割評価法なるものを採用したことであつた。この方法は、いわば時価主議と原価主義との折衷案とみ言い得よう か。即ち企業の財産を一時点によりて前後に分割し、その時点以前の建設にかかる財産はその分割時点における時価により、それ以後の財産は原価により評価するのである。かかる評価方法は第一次欧洲大戦中及び戦後における異常な物価騰貴時代の所 産に外ならない。しかし更に一歩すすめれば、この方法の最終の目標は時価主義より 原価主義への移行であると言えよら。何となれば、一方において財産の拡張又は更新が行われると同時に、他方においては時価評価された分割時点以前の財産は漸次償却  され、その償却完了の曉には、原価によつ、て評価された財産のみが殘ることとなるからである。だから物価非常時が続き、企業の実質資本の維持が困難となれば何回でも 繰返して分割評価法が行われなければならないと言い得よう。今回国鉄で考えられている再評価についてもこの分割評価法を探ることとし、その分創時点を昭和二十三年三月末日となし、その時の時価をもつて昭和二十四年三月末日における財産の評価を実施し、もつて財産台帳における各財産の登録価格とすることとした。そして時価の算定は各財産管理個所毎「大体、管理部、工機部以上)に昭和二十二年度における取得財産の決算額により種類別の単位価格を算定し、これをもつて評価替をなすこととしたのである。しかし数多い財産の中にはかかる決算単価の算定の困難なものみ予想されるので、その場合は妥当な物価指数によつて評価することとしたのであるが、この妥当なる物価指数の算出についてはいま少し慎重に研究する必要があると考えるのである。

(5)


 さて、最後にわれわれは以上に述べた再評価の問題が、特に時価評価)当面の問題として直面している困難な、それだけ叉重 要な二、三の問題を檢討しなければならないであろう。既に述べたように固定財産の減価償却は時価(再取得価格)を基準として行うのでなければ、企業内部に取替資金 の保留が出来ないから、償却の不足分だけ資本を喰いつぶす結果とならざるを得ないのである。このことは、再生産過程にある企業にとつて再評価の基本的論議となるところであるが、論者は二年、三年の償却不足は企業経営に左程大きな痛手を与えるものではないか、それよりも固定財産の評価替を行えば減価償却費が著しく大きくなり、それは必然的に運賃値上げを要求し、一般物価政策上許さるべきではないとせまることである。このために昭和二十三年度再入歳出予算では花々しかるべき減価償却費が僅か六億一千三百万円という寂しい数字になつたことであつた。国鉄財産の帳簿価格には実地調査の完了後ではないと正確には判明しないが、約一〇八億円、これを時価評価すれば約四、二五〇億円と推定される。この中償却財産(建物、工作物、車両、船舶、自動車)は約三、〇〇〇億円一〇三億円となる計算である。
しかるに本年度予算に計上されたのは、一応本年度に償却すべき財産の帳簿原価による償却額にすぎないのである。わたくしはかかる結果に対して、運賃に算入される償却費があまりにも少ないために固定設備の損耗を防ぐ修繕費さえも支出する余地がないのではないかと反駁したいのである。
 従来、国鉄では職時中の極度の使用により固定設備の損耗は予想外に甚だしくその崩壊は目前にある上に、インフレージョンの進行にあえで現在では帳毎価格を基準とした程度の減価償却費では到底取替などは不可能であるし、むしろ時価償却の上に更に特別償却費を要求してしかるべきであろうと考えるのである。なるほど現実の問題としては、一般物価政策乃至は政治力のあり方によつて左右され得る困難な問題であろうが、日本再建の基盤として大切な国鉄の固定財産を無理な価格政策や金融引緊め策によつて荒廃に認せしめないように、何らかの措置が執られることを強く要望したいのである。
 さらに評価の時期について批判する人があるかも知れない。即も現在は激しいインフレの進む過程にあるのであるが、再評価はインフレの解決後の通貨安定の時期になされて然るべきである。破局的インフレの進行途次においてかかる再評価は第一次第二次と続いて実施しなければならない運命にありとなし、しかも荷実体費本の完全な維持は不可能であろうと論難する。われわれはかかる欠陥はもとより卒直に認める。がさればといつて次第にひどくなつて行く国鉄の固定設備を拱手傍観するには忍びないとするのである。今日、インフレの進行下の社会経済の再生産の立場において、物的、葉材的な再生産が必ずしも滿足した状態でない時に、価値の面にのみ関する減価償却は如何に意義を失いつつあるかを直視するとしても、将来の企業の固定設備の更新について、その購入すべき資金を配慮して、出来るだけの努力を続けることこそ、国鉄経営を通じての将来の日本の生産力上昇への努力にほかならないのであろう。さらには安定した新通貨の発行、新物価体系の樹立、企業の査産負債を通じての全面的な評価替等が行われる日の見通しは、又極めて困難な業といわなければならないであろう。さればこの際固定財産の実地調査を断行すると共に、不十分乍らも再評価を実施し、一応の態勢を整えて置くことは、将来全面的な安定価値計算に移ることをして、比較的容易ならしめるゆえんであると言い得ないであろうか。
 終りに、国鉄資本額の確定に及ばなければならないであろう。昨年、新会計制度発足に当つて国鉄の資本を一定額に維持確立することが大きな一つの課題であつた。そしてそれは今回の財産の客地調査により発見されるであろら台帳未登録の財産を新しく加えた後に評価替を断行することをまつてはじめて妥当な固有資本額が算定されるべべきであるとされたことである。従つてこの資本額の改定は今回の国鉄機構攻正問題と関連して最重要にして真重な研究対衆とならざるを得ない。機構改正が未だ決定されていない現在では多くを語り得ないのであるが、日本国有鉄道として全額政府出資による特殊法人とすると新聞紙は報じている。果してしかりとすれば政府出資額の算定に当って再評価が過大評価となるか、過小評価となるかの問題は将来の国鉄経営当つて甚だ重大な影響を興えると予想されるであろう。

(6)


 要するに、わたくしは今までの国鉄の経理方式をもつて、官吏の責任の限界を明らかにしてこれを法律的に監督し、且つ財産そのものの存在を明らかにするには、まことによい思想であつたとする。しかし不断に生成し、発展する生きた今日の社会経済にあつては、企業財産としての国鉄財産の性格を前面的に張く押し出さなければ、国鉄は縮小再生産の道をたどるほかはないであろうとするのである。そうしてその第一歩であり、基礎であるものは、正に固定財産の時価評価であることである。国鉄における実体資本の維持、固定財産の保全ということこそ国力の回復を計ると共に、日本の生産力を永遠の将来に向つて発展せしむる所以のものとして深く理解し強く努力しなければならないのである。国鉄財産の再評価はインフレの進行に更に拍車をかけるものとして、生産力上昇の基盤である大切な国鉄財産を損耗するにまかせるようなことがあると、それこそインフレの抑制ではなくて、破局的インフレの到達すべき慘害そのものの姿であるのである。(九・二九)
(総務局主計第一課)

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